おススメ度 1億からの56
解説
日本最大の暴力団組織・左橋組三代目組長が跡目を決めることなく急死。四代目を継ぐべきナンバー2の若頭が病気を理由に辞退したため、若頭補佐の粟野と中平の跡目をめぐる内部抗争が勃発した。両者は虚々実々のかけひきを展開、その渦中で粟野組の幹部門谷と、中平が企業舎弟にしようとする栃野が30年ぶりに運命の再会を果たす。
スタッフ・キャスト
- 以上、映画ドットコムより。閉じる
映画の内容に触れていますので、未見の方とこの映画が好きな方はご注意ください。
動画サイトで、おススメの動画として紹介されていたのが、この映画の予告でした。
その中で、「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY」の音楽が使用されていたのが印象的で鑑賞しようと思いました。
このタイトルよりも、「キルビルのテーマ」の方がお馴染みだと思います。
そんな経緯で鑑賞したのですが。
この曲と共に、何台も縦に並んでいる、黒いリムジンから組員が一斉に降りるシーンが壮観。
最初は、一番前の組員達にフォーカスされているので後ろがぼやけている。
少しずつ遠く方にもピントを合わせると、主人公である豊川悦司、岸部一徳、その後ろには佐藤浩市とお歴々の面々がぞろぞろと歩いて来る。
映画館で、これを見られたらチケット代は無駄にならないぐらいの出来でした。
ちなみに、この映画と曲を気に入ったタランティーノが『キルビルのテーマ』として起用した話は映画ファンでは有名な話のようです。
詳細は、こちらの方で読むことが出来ます。
いつの日か、クエンティン・タランティーノがこのシーンをオマージュして欲しいと願っています。
黒いリムジンから、マフィア役を演じている役者が一堂に出て来るシーンを是非見たい。
同じ場所に、デニーロや、デカプリオや、ライアンゴズリングがリムジンから降りて行くシーンを想像するだけで、映画を見ている実感が湧きます。
しかし、残念ながら、このシーンがピークで、映画としては退屈になってしまいます。
その原因の一つとしては、映画全体に流れている、淡々としている空気感だと思います。
この映画は2000年公開されていて、『暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」通称、『暴対法』が91年に施行されて、9年が経過している。
この9年間で、極道で生きる者達の息苦しさを表現したのではないかと、推測しました。
主人公の鉄砲玉(※自分の安全を顧みず、相手の命を奪いに行く者)が相手の幹部の命を奪った時、組長が電話で言った内容は「警察に目を付けられたら、組は解散じゃあ!!」と言うところにも表れているのではないか。
この映画は、豊川悦司と布袋寅泰の共演が売りだと思うのですが、両者とも持ち味を生かし切れていないと感じました。
まずは、豊川悦司ですが、関西弁が違和感があるのが見ていて厳しい。
立ち姿や、動作は格好良いのに、喋ると途端に良さが消えいくのが惜しかったです。
幼少期は大阪に住んでいる設定とはいえ、他県から引っ越してきたから、関西弁が馴染まなかったとか言って、標準語でセリフを言えばいいのにと思っていました。
次に、布袋寅泰ですが、立ち姿は様になっているのですが、肝心の演技が見ていてやはり厳しい。
役者では無いので、それは酷とは思いますが、終始怒鳴っているイメージでした。
しかし、この映画の良い所もあって、それはヒロイズムや、カタルシスが皆無な所です。
昔の任侠映画で言う、極道の中にも良い奴、悪い奴が居るなんていうロジックは通用しません。
この映画では、武闘派だろうが、インテリであろうが、ほぼ殺されます。
外道は死すべし、そういう映画なのです。
最後、豊川悦司が幹部がクラブで酒を飲んでいるところに乗り込んで銃撃戦が始まるのですが、布袋寅泰が殺されてしまうのは最初、暴力団でも無いのに可哀そうだなと感じたのですが、考えてみると、冒頭の少年時代の頃に、ヤクザに親を足蹴にされた恨みから、足蹴にしたヤクザが雀荘で遊んでいる所に乗り込んで、ガソリンを巻いて火をつけていたので、因果応報なんだと思う訳です。
他にも、哀川翔が活躍しそうな雰囲気を持ったまま、特に活躍せずにフェードアウトしていたり(今回の映画で一番の被害者かも知れない。)
豊川悦司の心の動きがまったく分からなかったりと、色々と思うことがあります。
しかし、何度も書きますが、リムジンから降りてきて、歩くシーンは傑作だと思います。
そこが1億点なのですが、最終的におススメ度は56になりました。