ゴースト・オブ・ツシマをクリアしましたので所感を述べようと思います。
主な登場人物の紹介です。
このゲームの主人公である境井仁(さかい じん)
実写化の噂もあるので、もし10年前なら真田広之や浅野忠信あたりがキャスティングされたかもしれません。
現代に生まれていたら、フリークライミングやパルクールの日本代表としてオリンピックに選出されるくらいの運動能力の持ち主。
Ghost of Tsushima公式ホームページより。
コトゥン・ハーン
対馬に侵攻したモンゴル軍を率いる大将であり、このゲームのボス的存在。
日本を知るために、言語や文字を習得する頭脳も持ち合わせている。
実写化されるとするならば、今のスティーブン・セガールをお願いしたい。
Ghost of Tsushima公式ホームページより。
対馬の平野を馬で駆け巡れ!!!
このゲームをプレイするまで、対馬が北海道あたりだと何となく思っていた「起動戦士・ワッフル」という者です。
調べてみると、九州地方と韓国の間にある離島が対馬という事を知りました。
知らないことがあるのは、まだ成長できる証拠と自分に言い聞かせようと思います。
昨年、プレステ5を購入して最初に買ったゲームの一つが『ゴーストオブツシマ』だった。
もう一つの『アイドルマスター・ステラステージ』については、また次の機会に書きたいと思う。
クリアまでに約3か月は要したが、オープンワールドのゲームをクリアまで遊んだのは、昔ファミコンを引っ張り出して遊んだ『ゼルダの伝説』以来かも知れない。
冒頭のCGや操作するキャラクターがヌメヌメ動いている事を目の当たりにして、ゲームの進化に驚いて、浦島太郎状態になっていた。
プレステ5のコントローラーもボタンが沢山あって、何を押すとどうなるのか全く分からない状態から、トライ&エラーを繰り返しながらゲームが上手くなっていく感じは久しぶりだった。
このゲームの良いところは、物事を単純化させないところだと思っている。
日本からしてみれば蒙古軍は敵なので、野蛮な蛮族として描くこともできるが、このゲームはそうはしない、勿論、村人に手をかけるし容赦は無いのだが、このゲームを進めていくと、蒙古軍が日常に使用する道具や武器などの説明を閲覧出来る「蒙古の品」というアイテムを手に入れることができる。
これによって、蒙古軍が野蛮な蛮族ではなくて、モンゴルの文化や文明と共に生きている、同じ人間であることを認識できるのである。
蒙古軍襲来によってツシマの人々が団結していたか、と言われるとそうではなくて、野盗となり徒党を組んで主人公に襲ってきたりする。
話し合いなんて出来ないので野盗も蒙古軍も切り捨てていくのだが、主人公の境井仁は蒙古軍とどう戦うかを案じるも、多勢な蒙古軍に対して一人で戦う中、遠くから矢を放つ、爆弾を投げ込む、毒が塗られた吹き矢を打ち込む、背後から暗殺していくので、武士の道から外れていき、村の人々からは「冥人(くろうど)」と噂され恐れられる存在になっていく。
正義とは何か、プレイする側に問いかけるようなシーンもあるので「蒙古軍が悪だから倒してやったぜーヒャッハー!!」みたいな事にはならないバランスがこのゲームにはある。
多分、このゲームを作成しているのがアメリカのゲーム会社というのが関係しているのではないか。
モンゴルや日本のゲーム会社がこのゲームを作成したら、感情的にならず、フラットに描くのは難しいからこそ、第三者の視点で客観的に描ききった、このゲームの独自性が際立つのだと思う。
このゲームのボスであるコトゥーハンにしても、大量の蒙古軍を率いて対馬に乗り込んでくるだけあって、馬鹿ではない。
日本語と文字を理解して、境井仁に和平を提案したり、言葉で揺さぶる切れ者として描いているのが印象的だった。
他にも、このゲームにはパワーアップアイテムの「護符」を手に入れることができる大事な場所として神社が登場する。
しかし、最短ルートで行けるはずの橋が、何故か倒壊や焼け落ちているので、遠回りをしながら神社に参拝することになるのだが、その道のりが完璧にフリークライミングなのである。
この「エクストリーム参拝」を鎧を装着しながら難なくクリアする境井仁は豪胆な人物だと見受けられる。
ゴースト・オブ・ツシマは風景がとても綺麗で、見とれてしまったというのは言い過ぎかもしれないが、意味なく馬で海沿いを駆け続けていたことはあった。
私が老衰して亡くなった時に、走馬灯にこのゲームの自然風景が入り込んできても、受け入れても良いくらいだ。
このゲームをクリアするまでの間、肉体的、精神的に疲れていても最低30分はプレイしていた。
ゲームで日本の美しい風景を見ていたかったからだ。
日常にゲームがあって、ゲームから日常に戻ることでリフレッシュすることが出来たのだと思う。
これからもゲームをプレイするつもりだ。テレビを消して、顔を上げて日常に戻るために。