エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

オススメ度   91

 

※ネタバレあり

下ネタの話もありますので、苦手な方はご注意ください。

 

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あらすじ

カンフーとマルチバース(並行宇宙)の要素を掛け合わせ、生活に追われるごく普通の中年女性が、マルチバースを行き来し、カンフーマスターとなって世界を救うことになる姿を描いた異色アクションエンタテインメント。奇想天外な設定で話題を呼んだ「スイス・アーミー・マン」の監督コンビのダニエルズ(ダニエル・クワンダニエル・シャイナート)が手がけた。

経営するコインランドリーは破産寸前で、ボケているのに頑固な父親と、いつまでも反抗期が終わらない娘、優しいだけで頼りにならない夫に囲まれ、頭の痛い問題だらけのエヴリン。いっぱいっぱいの日々を送る彼女の前に、突如として「別の宇宙(ユニバース)から来た」という夫のウェイモンドが現れる。混乱するエヴリンに、「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪を倒せるのは君だけだ」と驚きの使命を背負わせるウェイモンド。そんな“別の宇宙の夫”に言われるがまま、ワケも分からずマルチバース(並行世界)に飛び込んだ彼女は、カンフーマスターばりの身体能力を手に入れ、全人類の命運をかけた戦いに身を投じることになる。

エヴリン役は「シャン・チー テン・リングスの伝説」「グリーン・デスティニー」で知られるミシェル・ヨー。1980年代に子役として「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」「グーニーズ」などに出演して人気を博し、本作で20年ぶりにハリウッドの劇場公開映画に復帰を果たしたキー・ホイ・クァンが、夫のウェイモンドを演じて話題に。悪役ディアドラ役は「ハロウィン」シリーズのジェイミー・リー・カーティスが務めた。第95回アカデミー賞では同年度最多の10部門11ノミネートを果たし、作品、監督、脚本、主演女優、助演男優、助演女優、編集の7部門を受賞した。

2022年製作/139分/G/アメリ
原題:Everything Everywhere All at Once
配給:ギャガ

以上、映画.comより

 

 

確定申告を済ませるために、多元宇宙を飛び回れ。

 

マルチバースというジャンルは、主人公によってジャンルを変える事ができる変幻自在な映画だと思っていて、ティーンエージャーが主人公ならば、映画のジャンルは恋愛や青春ジュブナイル物に出来るだろうし、主人公が成人ならばミステリーやホラーやコメディなどの幅広い映画ジャンルに対応できるのがマルチバースだと思っていて、今回の『エブリシングエブリウェア』の予告を見たら、主人公は中年の女性と知り、これをどう展開させるのか興味が湧いたので鑑賞しました。

 

冒頭から、経営しているコインランドリーに来る常連客の対応、頼りない夫、反抗期で同性のガールフレンドがいる娘、年齢を重ねた父親の世話をしつつ、事務所の机には束になっているレシートが置かれて確定申告の書類を作成しているだけで、エヴリンが多忙なのかが分かる。

この部分だけ見ていると、ホームドラマのようにしか見えないが、エブリンの面々が国税局に行ってから映画にブーストがかかりはじめます。

 

夫のウェイモンドが80年代のジャッキーチェンを連想させる大げさな演技から、落ち着いた演技へと変貌さで見ている者を引き付けるのと同時に、それがコメディ的要素もあるので見てて飽きさせないし、違うバースに行くためには突飛な行動をしなくてはイケナイ、という設定が後から大事になってきます。

 

 

 

めくるめくイメージの世界。

 

エブリンが大女優として成功を収めていたり、カンフーの達人であったり、手が魚肉ソーセージになっている同性に好意を持っている女性であったり、アニメのキャラクター、そして岩など、あらゆる世界を経験していくのですが、娘をおっかけて最終的に母と娘が岩になっているなかで、娘が岩でありながら意志の力で崖に移動して落っこちた時に、母親も後を追うよう崖を転がるシーンが心を打たれました。

先述した手が魚肉ソーセージになっている女性の話って、同性愛をエブリンなりに解釈した世界なのですが、娘が同性愛者である事を理解するためには、ここまで飛躍する必要があったのを考えると、そこには理解しようとする愛がある訳です。

 

壮大なテーマでありながら、描いているのは家族の問題だったりするので、

マルチバースというマクロな世界と、そこで行われるのが家族の再生というミニマムな世界の対比がこの映画の根幹な気がします。

夫から「すぐに諦め挫折した君だからこそ、他のマルチバースの君は成功している。」このセリフを聞いた時に、凄い残酷な言葉に感じましたが、エブリンが様々な世界線を経験した上で、それでも私はこの世界を選ぶという選択。

凄く共感できました。

 

過剰な下ネタは何を表現したかったのか。

 

意識をジャンプして違う世界に行くためには、ありえない事をすること。このルールで全員が動くので登場キャラクターがあり得ない行動をするのが、真剣すぎてコメディになってしまうという皮肉。

 

この映画はディルドをヌンチャクのように振り回したり、急にディルドを手に持っていたり、先端が尖った突起物を肛門に挿入するべく、延々とカンフーシーンを長回しで撮影していたりと、結構な下ネタが入ってくるのですが、個人的には凄く苦手でした。

どいうより、この世に面白い下ネタというのは存在するのか疑っています。

下ネタは全て不快なもので、社会的地位や権力を持った勘の悪い人間によって、下ネタをギャグという分類に無理やりねじ込んでいるだけなので、それは認知の歪みでしかないと思っています。

 

しかし、この映画の下ネタには違うテーマがあると考えています。

アジア人は年齢より若く見られがちなので、あえて過剰な下ネタを披露することで、ハリウッド映画による、誇張されたアジア人というキャラクターに対する決別と捉えました。

 

そして、ハリウッドでアジア人俳優だけでも映画が評価されるのを証明したのを踏まえて、この映画は黄色人種版『ムーンライト』と言えるのではないでしょうか。

 

今回この映画がアカデミー賞を受賞した事によって、アジア人で作成された映画が世界で通用する意味を込めて『グラップラー刃牙』より、若き渋川剛気が一本立ちしたシーンを張り付けておきます。

 

この映画で夫役のキー・ホィ・クァンがとにかく最高でした。