大冒険のワッフル

映画の感想などを徒然と。

ワイルドスピード ファイヤーブースト

ワイルド・スピード度    

1億ファイヤーブースト

 

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※ネタバレあり

 

あらすじ

2001年の第1作から数えて22年、メガヒットシリーズへと成長した人気カーアクション「ワイルド・スピード」のシリーズ第10作。

パートナーのレティと息子ブライアンと3人で静かに暮らしていたドミニク。しかし、そんな彼の前に、かつてブラジルで倒した麻薬王レイエスの息子ダンテが現れる。家族も未来も奪われたダンテは、12年もの間、復讐の炎を燃やし続けていたのだ。ダンテの陰謀により、ドミニクと仲間たち“ファミリー”の仲は引き裂かれ、散り散りになってしまう。さらにダンテは、ドミニクからすべてを奪うため、彼の愛するものへと矛先を向ける。

「トランスポーター」シリーズのルイ・ルテリエ監督がメガホンを取り、ドミニク役のビン・ディーゼルをはじめ、ミシェル・ロドリゲス、タイリース・ギブソン、クリス・“リュダクリス”・ブリッジスらおなじみのキャストが集結。また、新たな顔ぶれとして、ファミリーを次々と襲うダンテを演じるジェイソン・モモアや、オスカー女優のブリー・ラーソンが参戦した。

2023年製作/141分/G/アメリ
原題:Fast X
配給:東宝東和

以上、映画.comより引用

 

 

『皆さんご存じ』から始まる様式美は、ワイルド・スピードの真骨頂。

 

ワイルド・スピードの劇場体験は『ワイルド・スピード スーパーコンボ』だけで、後はレンタルで見たような記憶。

この映画の冒頭にもあった、警察署にある巨大な金庫を車2台で金庫ごと引っ張り出すシーンは印象的だったが、全体を通してストーリーの印象が薄い。

 

記憶に残っているのはカーアクションのシーンばかり、ワイルド・スピードシリーズの概要は、無茶な運転をしていかにミッションをクリアするかに重点が置かれているからだと思っている。

 

そんな曖昧な記憶のまま鑑賞した『ワイルド・スピードファイヤーブースト』ですが、この映画、オススメ度の枠を越える大傑作だと思いました。

本来オススメ度は100までなのに、1憶ファイヤーブーストになる訳です。

「なる訳です。」と書きましたが。中には「それはお前の気分次第ではないのか?」と思いの方もいるでしょう。

私はこの際、言い切らせていただきたい。「その通りだと。」

この映画シリーズが2001年に開始されてから22年。

これだけの時間が経過すると、必然的に登場キャラクターが多くなっているので、バーチャル空間の同窓会感覚、すぐに思い出すキャラクターもいれば、「あれ、このキャラクター過去に出ていたっけ?」と首を捻るキャラクターもいましたが、総じて、ご存じと共に登場するのが、このシリーズの魅力ともいえます。

その中でもジョン・シナ演じる、ジェイコブのアクションシーンは良かったです。

狭い部屋の中での大暴れも見ていて痛快だし、何よりアクションシーンの中で、ジョン・シナのプロレスラー時代の必殺技を出してくれるという、ファンサービスに涙が出そうでした。

何だよ、最&高かよ。

 

上映時間が141分あってこその『ワイルドスピード ファイヤーブースト』だ。

 

上映時間が長いのは確かだが、映画を見ればその意図が理解できるはず。

とにかく、カーアクションシーンに時間が贅沢に使用されている。

普通のアクション映画なら、カットするような部分があってもこの映画はそれをしない、何故なら、この映画を見に来ている観客たちは、何を見たいかを知っているからだ。

 

ローマの街を巨大な球体爆弾が転がる中でのカーアクションを見るだけでも、この映画を見る価値があると言っていい。

 

さらに言うなら、今作の敵役ダンテを演じる、ジェイソン・モモアワイルド・スピードファミリーと引けをとらない存在感が最高でした。

アダムは、人を食ったような態度を見せたかと思えば、殺された父親の復讐に燃えるという一面も併せ持つ複雑な役なのですが、ジェイソン・モモアが見事に演じてます。

『アクアマン』でも存在感があったので、こういうコメディも出来る、無慈悲な悪党役は得意とする所で、適材適所だと思いましたな。

 

ワイルド・スピード MEGA MAX』の中で、車で巨大金庫ごと盗まれた、敵役の息子がダンテな訳ですが、この映画の冒頭を見た時「息子いたっけ?」と首を傾げながら見ていましたが、見ている内に「これ、無いシーンを足している奴だった。」と気が付きました。

こういった、いい加減さと言うか、特有の緩さも『ワイルド・スピード』シリーズの特徴だったりするので、青筋立てずに、楽しんでくれよな。

 

この映画を見ていて感心したのは、上映時間ギリギリまでアクションシーンを詰め込む気概でした。

「この続きは、これから考えるから良いんだよ!!」と言わんばかりの姿勢に最後まで楽しむことができました。

大ピンチな状態に追い込まれたドミニク親子がこれからどうなるのか?

この続きが見られるのは2年後の予定なので、上映するその日まで生きなければと思った次第でございます。

 

最後に言いたいのは、ダンテが駆使する爆弾の使い勝手が良すぎると思いました。

 

ジェイソン・モモア演じるキャラクターの名前をアダムと書いていたのですが、正しくはダンテでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー

オススメ度 94

※ネタバレあり

 

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あらすじ

 

世界的人気の任天堂のアクションゲーム「スーパーマリオ」シリーズを、「怪盗グルー」「ミニオンズ」「SING シング」シリーズなどのヒット作を手がけるイルミネーション・スタジオと任天堂が共同でアニメーション映画化。イルミネーション創業者で「怪盗グルー」シリーズなどを送り出してきたプロデューサーのクリス・メレダンドリと、マリオの生みの親でもある任天堂宮本茂が製作に名を連ねる。ニューヨークで配管工を営む双子の兄弟マリオとルイージが、謎の土管を通じて魔法に満ちた世界に迷い込む。はなればなれになってしまった兄弟は、絆の力で世界の危機に立ち向かう。マリオとルイージに加え、ピーチ姫、クッパキノピオドンキーコングヨッシーなど原作ゲームシリーズでおなじみのキャラクターが多数登場する。監督は「ティーン・タイタンズGO! トゥ・ザ・ムービー」でタッグを組んだアーロン・ホーバスとマイケル・ジェレニック、脚本は「ミニオンズ フィーバー」のマシュー・フォーゲル。オリジナル版の声の出演には、マリオにクリス・プラット、ピーチ姫にアニヤ・テイラー=ジョイ、ルイージチャーリー・デイクッパジャック・ブラックら。日本語版ではマリオを宮野真守、ピーチ姫を志田有彩ルイージ畠中祐クッパ三宅健太キノピオ関智一が務める。

2023年製作/94分/G/アメリカ・日本合作原題:The Super Mario Bros. Movie配給:東宝東和

以上、映画.comより引用

 

世界一有名な兄弟の活躍を目に焼き付けろ!!!

映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を見たので感想を書きます。というよりも、書かねばならぬ。

 

勝手に世界で一番有名な兄弟としているが、ライト兄弟よりも現代はマリオ兄弟の方が知られているのではないだろうか。

 

あと、老若男女がスーパーマリオブラザーズについての話題を共有できる事も外せない。


「スターを取ろうとして、そのまま穴に落ちちゃったよ。」「助走した際にヨッシーを乗り捨ててジャンプしたけど、ヨッシーもろとも谷底に落ちたっけ。」といったスーパーマリオあるあるが世界で通用するって凄い事だと思う。


何よりも、音楽だ。ゲーム内の音楽を口ずさめば、国を越えてスーパーマリオだと認識できる。

 

俺がマリオでマリオが俺だ!!!!!!

自我が芽生えて、キャラクターと同化する体験をしたのは、スーパーマリオが初めてだった。
カメに噛まれ、イカやフグにぶつかり、ハンマーをぶつけられても、ピーチ姫とキノコ王国を救うため、諦めずに前進する姿。


マリオは私にとってのヒーローでもあった。

 

最初、マリオとルイージは双子だと思っていたが、月日が経過すると、マリオとルイージに特色が出始めて、確か『スーパーマリオUSA』で明確にマリオとルイージがキャラクターとして確立された記憶がある。


月日が流れ、勇敢なマリオに対して、ルイージの性格が怖がり屋で小心者である事を知ると、弟である私は正直「安易だな。」と思っていた。


しかし『ルイージマンション』が発売されると、その性格がゲームシステムとマッチして、日本では約60万本のセールを記録した事で喜びもあったが「もし、マリオマンションだったら100万本は売れたかもな。」と思うと、素直に喜べない。


弟は、兄を尊敬もしつつも、良きライバルとして目標としている部分もあるからだ。兄からすれば、そんな事言われても・・・という感じなのも理解している。


こんな面倒臭い部分を抱えてるのが、弟という存在だ。
頭の片隅にでもいいから、覚えておいてほしい。


マリオとルイージって人間だった。ピーチ姫も。

映画内で、マリオブラザーズとして配管工として仕事をしているのを見て、マリオとルイージが人間だったことに気が付いた。
マンマミーアとか言っていたし、イタリア人じゃん。


ピノキオがキノコ王国の住人のように、脳内でマリオ、ルイージも何処かの王国の住人だと勘違いしていた。

 

冷静に考えるとイタリア人の配管工の兄弟が何故、キノコ王国の危機を救う事になるの?という話ですが、それはマリオブラザーズが土管を通じてキノコ王国にワープしたのがきっかけになります。

長年疑問だった、ワープ土管の仕組みが凄い吸引力で目的地まで運ばれるという力技だったのを知りました。

それと同じく、ピーチ姫も両親の存在は聞いた事がなくて、デイジーというキャラクターがいるが、ピーチ姫の妹ではないし、キノコ王国で浮いている存在だなと思っていましたが、まさか、ピーチ姫も幼少の時にキノコ王国へワープしてきて、キノピオ達に育てられている描写があった時は驚きました。
ピーチ姫が地球から来たとすると、地球では行方不明になっているし、親もいるはずなのだが、そこら辺の描写はバッサリカットしているので、少しだけ気になりました。

この映画の凄いところは、ただの人だったマリオが、努力であのスーパーマリオになっていく過程を描くところにあるのですよ。

 

キノコを食べると大きくなるとか、ピーチ姫がファイアーフラワーを触れて炎がでる描写とか見ていて楽しい。

 

マリオとルイージの活躍に目頭が熱くなるのは何故なんだ?


この映画を見ていて、何故か涙が出そうになった。

1983年に『マリオブラザーズ』が誕生して約40年、ゲーム業界をリードして来たのが、マリオが主役のゲームと言っても過言では無い。

この映画では、マリオのゲームの歴史が散りばめられている。


鑑賞していれば、あなたのマイ・フェイバリットゲームもあるはずだ。

 

自分の人生は、マリオと共にあるのを知った時に、胸が一杯になって涙出そうになった。涙の原因はこれだ。

 

なにより、映画内でマリオがドンキーコングjrと戦闘するシーンは、必然ともいえるし、それこそが、任天堂がちゃんに制作に関わっている証拠でもあるのだ。

クッパは怖くて、悪いぜマジで。

キノコ王国から、マリオブラザーズが住んでいる街にクッパ軍団が雪崩れ込んでの戦闘シーンが迫力があって凄く良かった、良かったのだが、ひとつ気になる所もあった。

それは、クッパ一匹に対して、マリオとルイージが2人がかりで戦う事についてだ。

ズルくね?シンプルに思ってしまった。

 

戦隊物でも、子供の頃は最後に怪人が一人に対して5人で戦うのズルくね?と思っていたし、5人で一つのロボットを動かすからセーフという理屈かも知れないが、だったら、怪人も5人呼んでもいいのでは?モヤモヤしていたが、まさか、スーパーマリオの最後でそういう感情になるとは。

 

映画では、スターを取って無敵状態になったマリオとルイージが、二人でクッパをボコボコにするだが、そこは、クッパの攻撃でピンチになったマリオをファイアーフラワーでも葉っぱでも良いから、ルイージが救ったその隙に、マリオがスターを取ってクッパを倒すという流れでも良かったかもと。個人的に思いました。

映画の最後には、ヨッシーの卵が震えているシーンがあったりするので、続編はヨッシーが登場するのかも知れません。

続編があれば、勿論楽しみに待っていますが、しかし、この映画はこれで完結しているとも言えます。

もし、この映画の続編が作成されなかったとしても、悲しむことはありません。
この映画の続きは、私たちがゲームで遊び続ける限り、終わる事は無いのですから。

そんな訳で、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は絶賛上映中ですので、映画館に足を運んでいただければと思います。

 

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

オススメ度   91

 

※ネタバレあり

下ネタの話もありますので、苦手な方はご注意ください。

 

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あらすじ

カンフーとマルチバース(並行宇宙)の要素を掛け合わせ、生活に追われるごく普通の中年女性が、マルチバースを行き来し、カンフーマスターとなって世界を救うことになる姿を描いた異色アクションエンタテインメント。奇想天外な設定で話題を呼んだ「スイス・アーミー・マン」の監督コンビのダニエルズ(ダニエル・クワンダニエル・シャイナート)が手がけた。

経営するコインランドリーは破産寸前で、ボケているのに頑固な父親と、いつまでも反抗期が終わらない娘、優しいだけで頼りにならない夫に囲まれ、頭の痛い問題だらけのエヴリン。いっぱいっぱいの日々を送る彼女の前に、突如として「別の宇宙(ユニバース)から来た」という夫のウェイモンドが現れる。混乱するエヴリンに、「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪を倒せるのは君だけだ」と驚きの使命を背負わせるウェイモンド。そんな“別の宇宙の夫”に言われるがまま、ワケも分からずマルチバース(並行世界)に飛び込んだ彼女は、カンフーマスターばりの身体能力を手に入れ、全人類の命運をかけた戦いに身を投じることになる。

エヴリン役は「シャン・チー テン・リングスの伝説」「グリーン・デスティニー」で知られるミシェル・ヨー。1980年代に子役として「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」「グーニーズ」などに出演して人気を博し、本作で20年ぶりにハリウッドの劇場公開映画に復帰を果たしたキー・ホイ・クァンが、夫のウェイモンドを演じて話題に。悪役ディアドラ役は「ハロウィン」シリーズのジェイミー・リー・カーティスが務めた。第95回アカデミー賞では同年度最多の10部門11ノミネートを果たし、作品、監督、脚本、主演女優、助演男優、助演女優、編集の7部門を受賞した。

2022年製作/139分/G/アメリ
原題:Everything Everywhere All at Once
配給:ギャガ

以上、映画.comより

 

 

確定申告を済ませるために、多元宇宙を飛び回れ。

 

マルチバースというジャンルは、主人公によってジャンルを変える事ができる変幻自在な映画だと思っていて、ティーンエージャーが主人公ならば、映画のジャンルは恋愛や青春ジュブナイル物に出来るだろうし、主人公が成人ならばミステリーやホラーやコメディなどの幅広い映画ジャンルに対応できるのがマルチバースだと思っていて、今回の『エブリシングエブリウェア』の予告を見たら、主人公は中年の女性と知り、これをどう展開させるのか興味が湧いたので鑑賞しました。

 

冒頭から、経営しているコインランドリーに来る常連客の対応、頼りない夫、反抗期で同性のガールフレンドがいる娘、年齢を重ねた父親の世話をしつつ、事務所の机には束になっているレシートが置かれて確定申告の書類を作成しているだけで、エヴリンが多忙なのかが分かる。

この部分だけ見ていると、ホームドラマのようにしか見えないが、エブリンの面々が国税局に行ってから映画にブーストがかかりはじめます。

 

夫のウェイモンドが80年代のジャッキーチェンを連想させる大げさな演技から、落ち着いた演技へと変貌さで見ている者を引き付けるのと同時に、それがコメディ的要素もあるので見てて飽きさせないし、違うバースに行くためには突飛な行動をしなくてはイケナイ、という設定が後から大事になってきます。

 

 

 

めくるめくイメージの世界。

 

エブリンが大女優として成功を収めていたり、カンフーの達人であったり、手が魚肉ソーセージになっている同性に好意を持っている女性であったり、アニメのキャラクター、そして岩など、あらゆる世界を経験していくのですが、娘をおっかけて最終的に母と娘が岩になっているなかで、娘が岩でありながら意志の力で崖に移動して落っこちた時に、母親も後を追うよう崖を転がるシーンが心を打たれました。

先述した手が魚肉ソーセージになっている女性の話って、同性愛をエブリンなりに解釈した世界なのですが、娘が同性愛者である事を理解するためには、ここまで飛躍する必要があったのを考えると、そこには理解しようとする愛がある訳です。

 

壮大なテーマでありながら、描いているのは家族の問題だったりするので、

マルチバースというマクロな世界と、そこで行われるのが家族の再生というミニマムな世界の対比がこの映画の根幹な気がします。

夫から「すぐに諦め挫折した君だからこそ、他のマルチバースの君は成功している。」このセリフを聞いた時に、凄い残酷な言葉に感じましたが、エブリンが様々な世界線を経験した上で、それでも私はこの世界を選ぶという選択。

凄く共感できました。

 

過剰な下ネタは何を表現したかったのか。

 

意識をジャンプして違う世界に行くためには、ありえない事をすること。このルールで全員が動くので登場キャラクターがあり得ない行動をするのが、真剣すぎてコメディになってしまうという皮肉。

 

この映画はディルドをヌンチャクのように振り回したり、急にディルドを手に持っていたり、先端が尖った突起物を肛門に挿入するべく、延々とカンフーシーンを長回しで撮影していたりと、結構な下ネタが入ってくるのですが、個人的には凄く苦手でした。

どいうより、この世に面白い下ネタというのは存在するのか疑っています。

下ネタは全て不快なもので、社会的地位や権力を持った勘の悪い人間によって、下ネタをギャグという分類に無理やりねじ込んでいるだけなので、それは認知の歪みでしかないと思っています。

 

しかし、この映画の下ネタには違うテーマがあると考えています。

アジア人は年齢より若く見られがちなので、あえて過剰な下ネタを披露することで、ハリウッド映画による、誇張されたアジア人というキャラクターに対する決別と捉えました。

 

そして、ハリウッドでアジア人俳優だけでも映画が評価されるのを証明したのを踏まえて、この映画は黄色人種版『ムーンライト』と言えるのではないでしょうか。

 

今回この映画がアカデミー賞を受賞した事によって、アジア人で作成された映画が世界で通用する意味を込めて『グラップラー刃牙』より、若き渋川剛気が一本立ちしたシーンを張り付けておきます。

 

この映画で夫役のキー・ホィ・クァンがとにかく最高でした。

 

 

 

 

『ダンジョンズ&ドラゴンズ アウトローたちの誇り』

 

 

オススメ度 97

 

※ネタバレあり

 

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あらすじ

1974年にテーブルトークRPGとして発売され、世界初のロールプレイングゲームとしても知られる「ダンジョンズ&ドラゴンズ」を新たに映画化したアクションファンタジー。主演を「スター・トレック」「ワンダーウーマン」シリーズのクリス・パインが務めた。

さまざまな種族やモンスターが生息する世界、フォーゴトン・レルム。盗賊のエドガンと相棒の戦士ホルガは、ある目的のために旅に出る。これまでにもさまざまな修羅場をくぐり抜けてきた彼らだったが、今回の冒険は一筋縄ではいきそうにない。そこで、魔法使いサイモンとドルイドのドリック、聖騎士のゼンクを仲間に加え、パーティを組む。ダンジョンに立ちはだかる困難や手ごわい敵の数々、そして高難度のクエストを乗り越えていくうちに、彼らは全世界を脅かす巨大な悪の陰謀に対峙することになる。

盗賊エドガンをクリス・パイン、相棒のホルガを「ワイルド・スピード」シリーズのミシェル・ロドリゲスが演じ、彼らとパーティを組むサイモンをジャスティス・スミス、ドリックをソフィア・リリス、ゼンクをレゲ=ジャン・ペイジが演じる。また、イギリスの人気俳優ヒュー・グラントも参戦。

2023年製作/134分/G/アメリ
原題:Dungeons & Dragons: Honor Among Thieves
配給:東和ピクチャーズ

以上、映画.comより

個性的なメンバーでクエストのクリアを目指せ!!!

 

ダンジョン&ドラゴンズの存在は知っていましたが、実際にテーブルゲームで遊んだ事はありませんが、この映画、とても楽しめました。

 

エドガーの職種が盗賊となっているのですが、彼は『シーフ』ではなく『バード』という職種なので、和訳すると吟遊詩人となります。

この映画でも、他のメンバーが武器を選ぶなか、エドガーがリュートと呼ばれる弦楽器を手にしたりと、馬に乗りながら歌を歌ったりと丁寧に描写されています。

勿論、物を盗む描写もあるのですが、それは自暴自棄になったうえでの行動なので、職種というより犯罪行為に近い。

 

そもそも、亡くなった奥さんを蘇らせるため、生き返りの石板を手に入れるというクエストなので、吟遊詩人だと、分かりにくいという判断があったのかも知れません。

しかし、ここは盗賊ではなく、吟遊詩人で良かったと思いますが、和訳の難しさを感じました。

 

エドガーを始め、パーティーそれぞれに心の傷を持っていて、エドガーの相棒である女戦士のホルガは、仲間思いで、行動力もあり、腕っぷしや勇気も持ち合わせているが、酒癖が悪く、家庭を顧みなかったため、旦那から離婚されていたりします。

従来なら、ホルガは男性の役者が演じていても問題は無いのですが、この映画では、性別は関係なくて、酒癖悪くて、家庭を顧みないのは人として良くない事として表現しているのが現代的で良かった。

 

様々な動物に変化することが出来る、ドリックの存在がこの映画を魅力的にしているといっても過言ではなくて、最初見た時に、こんな可憐さと強さを併せ持つ存在感に驚きました。

 

正直な話、この映画の冒頭シーンを見て本当に面白くなるのか心配になっていたのですが、ドリックが城の中に潜入して、そこから様々な動物に変化しながら城の外に逃亡するシーンを見た時に「この映画は、全体重を預けても大丈夫だ。」と安心して、映画に身を委ねる事ができました。

 

ギャグシーンがちゃんと観客に伝わる嬉しさ。

 

この映画、ギャグシーンが定期的に盛り込まれているのですが、ちゃんと自分を含めて受けているのが印象的でした。

今回、日本語吹き替えで見たのですが、ギャグのニュアンスは吹き替え版の方が伝わりやすいかも知れません。

個人的には、聖騎士であるゼンクの言葉を真に受ける所と、立ち去る時にまっすぐ歩いて岩をそのまま乗り越えて行くところが良かったです。

 

エドガーは、魔法を使える訳でも、剣術に長けている訳でもないのですが、パーティーを言葉で奮い立たせ、新しい作戦を考え続け、自分の弱い部分もさらけ出すことで、パーティーをまとめ上げるといった、リーダーとしての能力が特出しているのが印象的で、一番戦闘に向かない、エドガーがリーダーになっているのが、映画のバランスとして絶妙でした。

 

後、詐欺師役のフォージを演じるヒューグラントが本当に良かった。

ヒューグラントと言えば『ノッティングヒルの恋人』などのラブコメに数多くの主演をしているイメージで、好青年だけど、どこか頼りない男性を演じさせたら右に出る者はなく、当時はやっかみも込みで、「どこか胡散臭い感じがする役者だな。」なんて事を思っていました。ごめんなさい。

そのヒューグラントが、何処か憎めない、どうしようも無い詐欺師を熱演しているのを見て、役者としてキャリアを重ねていたのを知り、どういう感情か分からないのですが、少し泣きそうになりました。

 

最後の、敵である魔法使いのソフィーナに対して、パーティー全員で戦っていくシーンであったりと、パーティー全員が力を合わせていく姿が格好良く撮影されているだけで、この映画の価値があると思うのですよマジで。

 

娘を救出して、生き返りの石板を手に入れたエドガーが、ソフィーナとの闘いで致命傷を負ったホルガに石板を使用するシーンで感涙。

娘にとって、母親のような存在がホルガで、エドガーはそこで過去に生きるか未来に生きるかの選択で未来を選んだ事が尊くて、泣けました。

 

ここ最近の字幕として、エンディングで流れる歌にも字幕を付けてくれるようになったのが、とてもありがたい。

今回の映画では、エンディングの曲には字幕は無かったのですが、最後の曲も歌詞を理解できると映画に関する内容だったりするので、字幕があるとより楽しめると思った次第です。

 

個人的には、傑作映画でした。

 

出来れば、この座組で何作か映画を作成して欲しいので、ぜひ映画館でご覧いただけると幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『フェイブルマンズ』

 

 

 

オススメ度 94

 

※ネタバレあり

 

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ジョーズ」「E.T.」「ジュラシック・パーク」など、世界中で愛される映画の数々を世に送り出してきた巨匠スティーブン・スピルバーグが、映画監督になるという夢をかなえた自身の原体験を映画にした自伝的作品。

初めて映画館を訪れて以来、映画に夢中になった少年サミー・フェイブルマンは、母親から8ミリカメラをプレゼントされる。家族や仲間たちと過ごす日々のなか、人生の一瞬一瞬を探求し、夢を追い求めていくサミー。母親はそんな彼の夢を支えてくれるが、父親はその夢を単なる趣味としか見なさない。サミーはそんな両親の間で葛藤しながら、さまざまな人々との出会いを通じて成長していく。

サミー役は新鋭ガブリエル・ラベルが務め、母親は「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「マリリン 7日間の恋」などでアカデミー賞に4度ノミネートされているミシェル・ウィリアムズ、父親は「THE BATMAN ザ・バットマン」「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」のポール・ダノが演じるなど実力派俳優が共演。脚本はスピルバーグ自身と、「ミュンヘン」「リンカーン」「ウエスト・サイド・ストーリー」などスピルバーグ作品で知られるトニー・クシュナー。そのほか撮影のヤヌス・カミンスキー、音楽のジョン・ウィリアムズら、スピルバーグ作品の常連スタッフが集結した。第95回アカデミー賞で作品、監督、脚本、主演女優(ミシェル・ウィリアムズ)、助演男優(ジャド・ハーシュ)ほか計7部門にノミネートされた。

2022年製作/151分/PG12/アメリ
原題:The Fabelmans
配給:東宝東和

以上、映画.comより

 

映画に恋焦がれ憧れた青年が映画そのものになった。

最初この映画を予告で知った時は、あまり食指が動かなかったのですが、脚本、監督がスティーブン・スピルバーグと聞いて俄然興味が湧きました。

話は脱線しますが、しばしお付き合いください。

日本でこの形式で映画化できるとしたら、故、大林宣彦監督ただ一人だと思っていまして、もし、今もご健在なら大林監督の集大成として『大林宣彦物語』を撮影したかも何て空想を巡らせていました。

例えば冒頭はこんな感じ。

 

ディレクターチェアーに座り、カメラに向けて話かける大林宣彦

セリフ「皆さん、私は子供の頃から映画が好きでした、映画が好きで、映画監督になりました。そして、こう思ったのです。」

 

カメラが横からの撮影になり、ディレクターチェアーに座った大林宣彦が顔だけカメラを向ける。

「私は、映画になりたいと。」

みたいな感じで、最初のプロットは私の頭の中で完成されていて、たまに脳内でそのシーンを上映しています。

映画好きなら、よくある事なのでこれぐらいにしますが、予告を見て、私の脳内でイマジネーションが膨らんだのもあって鑑賞しました。

 

半自伝的映画なので、役者がスティーブン・スピルバーグ本人を演じるのではなくて、サミー・フェイブルマンというキャラクターを演じ、フェイブルマン一家の話なのでタイトルが『フェイブルマンズ』という事になるのですが、パンフレットによるとフェイブルという意味は、ドイツ語で、台本のプロットや寓話を意味するそうです。

 

生みの苦しみや苦悩が描かれない、稀有な映画。

映画ではサミー・フェイブルマンの話なのですが、はっきり言って、スティーブン・スピルバーグなので、ここでは、スピルバークで統一します。

 

幼少時から映画が好きなスピルバーグ少年時代は、常に映画作成と共にあるのですが、映画製作にあたって、創作活動に対する苦悩がまったく描かれないのが印象的でした。

 

この映画においてのスピルバーグは、アイディアが枯渇したり、スランプで何も手につかない事は皆無で常に映画を作成し続けています。

ボーイスカウトでの発表会では、製作した映画を上映して喝采を受けていて、それどころか、生みの苦しみよりも、映画を制作する事が出来ない環境に対して苦悩する描写があるのが見ていて新鮮でした。

スクリーンからは「だって、俺スティーブン・スピルバーグだよ?」と言われているかのようでした。

この後『激突』『未知との遭遇』『E.T』『ジュラシックパーク』などを撮影するあのスピルバーグなのは重々承知なのですが、そこは同じ人間、少しでも共感できる部分を探したくなるのが人情ってもの、しかし、息を吸うように創作する人もいる事実に、頭を鈍器で殴られるような衝撃を受けました。

 

連載を抱えている漫画家が、息抜きで違う漫画を描いているのを知った時の驚きと、自分には到底辿り着く事の出来ないという絶望感が一気に押し寄せてきました。

 

この才能は、両親によって開花されたのは間違いなくて、理論家の父と情緒がある母のバランスがスピルバーグを映画の世界へと導いたといえます。

家族の他に父親の親友が同居していて、それなりに楽しい生活を送っているのも束の間、父親がヘッドハンティングで新しい会社に引き抜かれることで、新たな土地へと引っ越しを繰り返していくわけですが、親から家族旅行を撮影してと言われて、しぶしぶ承諾して撮影して、編集作業をしているスピルバーグが、父親の親友と、母親が恋仲である事に気が付いてしまうシーンは見ていて辛かった。

 

撮影さえしなければ、知らないままで済んだことに対する苦悩あり、映画を作成する事の楽しさと、人間の真実を映し出してしまう事の残酷さをここで嫌というほど描いているのが印象的でした。

 

結局、母親は離婚して父親の友達と再婚するのですが、その描写が本当に見ていて切ない。

父親は母親のことを尊敬して愛しているのに関わらず、母親はそれを拒絶していて、その理由が「自分には無い才能を持った人から愛されるとだんだんと苦しくなる。」なので、父親からすれば、どんなに愛を伝えていても破綻する結末しかないことが見ていてただ絶望するのみ。

 

スピルバーグも高校生なると、転入生という事とスピルバーグユダヤ教を信仰しているという理由で、キリスト教のクラスメイトからイジメられるし、イジメるクラスメイトがちゃんとクソ野郎共だったりで踏んだり蹴ったり。

そんなクソ野郎達を相手に学校生活をサバイブする毎日で、流石に映画撮影に対する熱意の火も消えかけた時、女子のクラスメートとの出会いがスピルバーグを映画の道へと戻すのを見て、出会いは奇跡なんだなと思った次第。

 

ガールフレンドから、家に撮影用のカメラがあるから、高校最後の夏休みを撮影してみたらという提案に乗ったスピルバーグが、ビーチでくつろぐ生徒たちを撮影していき、編集をした後に卒業パーティーで上映するに至るのですが、そこで、イジメていたボス的存在だった人間を、とにかく恰好良く、ヒーローのように演出する構成にして、クラスメイトからは喝采を受けて上映会が終了したまでは良かった。

 

しかし、イジメていた当事者がロッカールームで「何で、あんな風に俺を撮影した。」とスピルバーグを問い詰めたあげく「あれは、本当の俺じゃない。」と腰を下ろして泣き出す始末。

流石に、スピルバーグも意味が分からず反論するも、その言葉が「映画の中だけでも、仲良くしたかっただけなのに。」というのがとても痛々しかった。

しかし、その時だけスピルバーグはイジメられていた人間と対等に話をする事が出来る訳です。

 

何故なら、スピルバーグは無自覚とはいえ、本当の自分ではない偶像を永遠にフィルムに残すという行為は、相手を暴力で捻じ伏せるに等しく、そこで対等な関係として話が出来たのではないかと思った次第です。

 

この絵の地平線(ホライズン)はどこにある?

卒業バーティーで大学進学が決まっているガールフレンドに対して「映画に携わる仕事をするため、ハリウッドに行くのだけど、一緒に来ないか?」と伝えるも「その話題は、今すべきではない。」とピシャリと言われ破局することに。

 

卒業後は、父親と同居しながら大学に遠距離通学しつつも、あまりにも大学と水が合わずパニック障害で呼吸もままならない状態に。

そんな中、手紙を出していた映画製作会社から返事が来て、オフィスで面接を受ける事に。

そこで出会うのが『駅馬車』などで有名なジョン・フォード監督。

 

最初、ヨレヨレの服を着て眼帯をして顔にキスマークをつけてヨタヨタ歩いてきたのを見た時には、あまりにも個性が渋滞していたので架空の監督なのかな?と思ったのですが、実際にいました。

しかも、そのジョン・フォードを演じているのがデビット・リンチという謎の配役。

異常に存在感があったので、この配役で正解だと思いました。

 

スピルバーグが映画監督になりたい思いを伝えるとジョン・フォードが「映画監督なんて、心がズタズタにされるだけだぞ。それでもなりたいのか?」と質問した後で、部屋に飾っている絵を指さして、この絵どう思う?と聞くシーンがこの映画のハイライトだと確信。

 

スピルバーグが絵の説明をしようとすると、「違う!!」と一喝。

「ホライズンは何処にある!!」と聞かれて、地平線は下と答えるスピルバーグ

 

すかさず違う絵を指さして、「あの絵は?」と聞くジョン・フォード監督。指さした絵を見ながら「えーっと二人のカウボーイが馬に乗って・・・」「違う!!ホライズンは何処だ!!」とまた一喝。

地平線は上だと答えるスピルバーグ

 

ここからはジョン・フォードの独壇場で。

「地平線が一番上にあると面白い絵になる。」

「地平線が一番下にあっても、面白い絵になる。」

「地平線が中央にある絵は、面白くも何とも無い、クソみたいな絵になる・・・」

「以上だ!!いつまで俺のオフィスにいる気だ、とっとと出ていけクソ野郎!!!」

スピルバーグを追い出すシーンが最高でした。

 

キョトンとした顔で、オフィスから出ていく前に「ありがとうございました。」とお礼を言うスピルバーグに対して、葉巻を吸いながら「どういたしたしまして。」というジョン・フォード監督が格好良かった。

どうせなら、こんなジジイになりたい。

 

この映画を一言でいうならば『スピルバーグ立志編』と言ったところでしょうか、この映画の続編は作成されないでしょう、何故ならスピルバーグがこの後、どんな挫折や困難があろうとも、映画を作成し続けているのは周知の事実なのですから。

 

永遠の映画青年スピルバーグも、今年で76歳。

今、スピルバーグが元気でいるからこそ、見る価値のある映画ともいえます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『シン・仮面ライダー』

 

オススメ度 58

※ネタバレあり。

 

www.youtube.com

 

1971年放送開始の特撮テレビドラマ「仮面ライダー」を、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」「シン・ゴジラ」の庵野秀明が監督・脚本を手がけて新たに映画化。

主人公・本郷猛/仮面ライダー役に「宮本から君へ」の池松壮亮、ヒロイン・緑川ルリ子役に「賭ケグルイ」シリーズの浜辺美波、一文字隼人/仮面ライダー第2号役に「ハケンアニメ!」の柄本佑を迎え、新たなオリジナル作品として描き出す。

ルリ子の兄・緑川イチロー森山未來、父・緑川弘博士を塚本晋也、秘密結社SHOCKERの上級構成員・ハチオーグを西野七瀬、同じくSHOCKER上級構成員のコウモリオーグを手塚とおるがそれぞれ演じる。テレビアニメ「ヨルムンガンド」「天元突破グレンラガン」などで知られる作曲家・岩崎琢が音楽を担当。

2023年製作/121分/PG12/日本
配給:東映

以上、映画.comより

 

 

仮面ライダーの想いを伝えるために、庵野秀明監督が夜中に書いたラブレター。

 


映画『シン・仮面ライダー』を鑑賞した。


仮面ライダーは、平成ライダーという存在があるらしい、くらいの知識しかないので、ここからの感想は、特撮を知らない人間が書いている文章というのを念頭に置いて読んでいただけると幸いです。

 

※ネタバレします。

 

最初にも書いたが、この映画は、特撮『仮面ライダー』に対して、庵野秀明監督が夜中に書いたラブレターだと思いました。


この「夜中に書いたラブレター」というのが大事なのですが、私も高校時代、意中の人に徹夜してラブレターを書いてポストに投函した事がありましてね。(遠い目)


数日後、丁寧なお断りの文章が同封された封筒が送られてきて、その日の夜中に、自転車で近くの山の山頂に向けて立ち漕ぎしたのを昨日のように思い出します。(血涙)


その事を思い出すたびに、舌を噛み切って絶命したい思いに駆られるのですが、大人なので奥歯を噛みしめて乗り切っています。

 

話がずれてしまいましたが、この映画は庵野秀明が理性よりも衝動を優先させて製作した映画なのだと思った次第です。

 

私には、この映画が良く分からなかった。


映画のストーリーは、一本道で分かりやすかったのですが、監督庵野秀明の心の内が理解できなかったです。なぜ、この映画を撮ったのを含めて。

 

冒頭の仮面ライダーとショッカーとの戦闘シーンでは、殴られたショッカーの顔面が陥没して流血、腹を突き破られて流血するなど、仮面ライダーの超越した身体能力を表現する意味もあるのでしょうが、とにかくゴア描写が意識的に取り入れられていて、これがシン・仮面ライダーとしてのリアリティなのであるならば、正直必要性は感じませんでした。

 

庵野秀明監督は、この作品を本当に撮影したかったのだろうか?


庵野秀明は、他のアニメや映画映像を切り取り、それを並べることで新たな映像を作成できる、いわば、卓越したサンプリング能力を持ち合わせている才人だと思っているのですが、今回の『シン・仮面ライダー』は見た事のある映像のオンパレードだったのも、この考えに拍車をかけました。


劇場版エヴァンゲリオンで見た風景を、実写で撮影している作業に何の意味があるのだろうか、登場キャラクターの緑川ルリ子も、ボブカットで無表情での佇まいは、綾波レイをイメージしました。


この映画は、アニメ新世紀エヴァンゲリオンの世界に引っ張られたまま製作された、実写版、仮面ライダーだと思いました。

 

この映画に登場する怪人は超越した力を持っているという前提で見ていると、サソリ女のストーリーがおざなりすぎる。

最初はアクションシーンと共に、サソリ女の強さを描くのかと思っていたら、あっさり倒されるので、どういう事?と思ったのですが、結局、この時にサソリ女から採取した毒が、次に闘う蜂女の伏線になっているのですが、これが雑すぎる。


サソリ女から採取した毒を入れた銃口を蜂女の胸に向けて、情報機関の男を演じる斎藤工が発射するのですが、蜂女が「私にはそんなの通用しない。」と言いながら、胸から出る血を見て絶命するシーンは見てて不安になりました。
もしかして、これは何かの伏線なのかなと思って見ていたのですが、そんな事もなく映画は進んでいたので、こういう部分は良くも悪くも、子供向けの特撮ヒーロー物なんだなと自分に言い聞かせていました。

 

仮面ライダーはアクションシーンが一番の華だと思うのですが、そのアクションシーンがずっとごちゃごちゃしているんですよ、これって映画として問題で、爽快なアクションシーンを楽しみにしているのにも関わらず、仮面ライダーと最後のボスである蝶オーグとの闘いは、最初は良いのですが、最終的には、仮面ライダーと蝶オーグがレスリングでいうグラウンドでマウントをとりあうシーンを延々撮影していて、それが長い。


アクションシーンの殺陣が出来る人を招集していないのかなと、思うくらいに雑でした。

ですが、仮面ライダー1号と2号が並んで変身ポーズを決めるシーンは、仮面ライダーを知らなくても、凄く格好良かったです。

 

最終的には、仮面ライダーは消滅するがその意志は仮面ライダー2号が引き継ぐという形で映画は終わっていました。

 

仮面ライダーを知らなくても楽しめる映画だと思います。
ただ、映画としての出来が良くないというのが私の率直な感想です。

 

しかし、庵野秀明監督の「てにをはを多少間違えていても、自分の仮面ライダーに対する想いは本物だ。」という思いは勝手ながら受け取りました。

結論として、やはりこの映画は、庵野監督が仮面ライダーへの想いを綴った、夜中に書いたラブレターだと思った次第です。

 

仮面ライダーに思い入れが無いのと、映画として見たら雑な部分が目立っていたのでオススメ度は58となりました。

 

刺さる人には脳天からぶっ刺さるぐらい心を掴んで離さない映画なのかも知れません。

 

 

特典として仮面ライダーカードが貰えたので、開封してみたら主人公の二人でした。

昔、買っていたプロ野球チップスを思い出しました。

ポストに投函する前に

健康診断の結果が家に届いたので、その結果を封筒で送付するため郵便局で久しぶりに切手を購入した。
封筒の切手代が84円になっているのを知る。
ハガキ代は63円になっているので、端数の切手は普通になっている事に気がついた。
ハガキ代が値上げして52円になった時に、ワンコインで購入できなくなったことと、窓口で値上げ分の切手代金2円をコイントレーに置くことに対して違和感があったが、今や当たり前の光景になっている。

深夜ラジオにネタを投稿しては高確率で読まれる人を、ハガキ職人と言われているが、メール全盛の今もハガキ職人という言葉は通用するのだろうか。

時代に合わない慣用句が使用されている時があるが、ハガキ職人という言葉はその当落線上にあると思っている。

時代に合わない慣用句というのは、例えば「筆が進む」「敷居が高い」「太鼓判を押す」「旗色が悪い」など、ニュアンスが分かるけど、今の生活からすれば身近ではない事を指す。
ハガキ職人という言葉が無くなったとしても、違う言葉が誕生するのだろうから、何も心配はしていない。
その代わりの言葉が、メール職人ではないのは確かだ。
これだけは言える。
あと、町の郵便局が午後4時で窓口業務が終了するのも戸惑った。
前は、午後5時くらいまで営業していたような気がするが、曖昧な情報をそのまま書くのも良くないのでこれぐらいにする。

健康診断の結果が届いたのだが、検便に潜血があったためE判定で要精密検査の結果がでていた。
E判定は今回で2回目なので少し余裕をもって対応するが、病院には行く、必ず行くことにする。

直腸検査は全然慣れない、前回も30分くらい直腸の様子をカメラで確認しながらポリープを切除してもらったが、お腹の内側からカメラが当たっている感触が分かるのが嫌な感じだった。
映画エイリアンで、お腹からエイリアンが飛び出すシーンがあるのだが、実際にはこんな感じからスタートするのかとか考えていた、他の事を考えて気を紛らわせていたのと、先生から「奥の方にもポリープありますけど、削除します?」と聞かれた事だけは印象に残っている。
この状況で、ポリープを残す選択肢はあるのだろうか?と思いながらも「お願いします。」とハッキリとした声でお願いした。

これよりはもう少し、スムーズに終わることを目標にする。