似て非なるもの。

牛丼が好きだ、しかし、ファーストフード店が苦手なので、半額で牛肉が手に入ったら、牛丼を作成している。
前回、適当に調理した牛丼が美味しかったので、今回はより完成度の高い牛丼を目指した。
料理はシンプルが一番だ。
工夫によって美味しくもなるし、不味くもなるのが難しいところでもある。

牛肉と一緒に牛蒡も煮込むと美味しくなるらしいので、さっそく試してみた。
牛蒡の風味と割り下が煮込む前から、相性の良さを感じさせる。

煮込んで見て分かったが、これ「牛蒡と牛肉のしぐれ煮」じゃないか。
味も完全にしぐれ煮だった。
これをレトルトパックに入れて通信で販売したいくらいの美味しさだったが、私が食べたいのは牛丼だ。
私の口から、牛丼からどんどん遠ざかっていく。

そもそも、今回は段取りが良くなかった。
調理が完成した時、炊飯器がお米を浸漬していた時点で察するべきだったと思う。
しぐれ煮も牛丼も近くて遠い存在だ。
私にとってその二つは、外見は同じ大福でも、中身はこしあん粒あんくらい違う。
同じカテゴリーに入れられてしまうが、お互い強烈な対抗意識をもっているのが、しぐれ煮と牛丼の関係性ともいえる。
話は変わるが、料理が一番美味しく感じられる瞬間は、味見で一口食べた時だと思っている。
最初の一口が永遠に体験できれば一番ベストたが、何回経験しても、常に初めての境地に至るためには、悟りを開くのが手っ取り早いのではないか。
悟りを開きたいと考えていること自体、煩悩にまみれている証拠なので、いっその事、煩悩を持ったまま悟りを開く事を目指してもいいのかも知れない。