『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』

 

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おススメ度 98

※ネタバレあり。

 

解説

長編デビュー作「14歳の栞」で注目を集めた竹林亮が監督を務め、タイムループに陥った小さなオフィスの社員たちが脱出を目指して奮闘する姿を描いたコメディ。

小さな広告代理店に勤める吉川朱海は、憧れの人がいる大手広告代理店への転職を目指しながらも、仕事に追われる多忙な日々を過ごしていた。ある月曜日の朝。彼女は後輩2人組から、自分たちが同じ1週間を何度も繰り返していることを知らされる。他の社員たちも次々とタイムループに気づいていくが、脱出の鍵を握る永久部長だけが、いつまで経っても気づいてくれない。どうにか部長に気づかせてタイムループから抜け出すべく悪戦苦闘する社員たちだったが……。

主人公・吉川を「コントラ KONTORA」の円井わん、永久部長をマキタスポーツが演じる。

2022年製作/82分/G/日本
配給:パルコ

以上、映画.comより

 

広告代理店×無茶なクライアントの要求×激務の一週間=新たなタイムループの傑作が爆誕!!!!

 

主人公がタイムリープする映画だと、『ミッション・8ミニッツ』であったり、映画内の会話に出てきた『恋はデジャブ』『ハッピーデスデイ』なども観てるので、気にはなっていた映画でしたが、映画館の上映タイミングと合わずに、DVDで観ました。

タイムリープが主題になっている映画は、主人公だけがタイムリープに気が付いていて、そこから抜け出すために奮闘するというのがセオリーなのですが、主人公で大手広告代理店に転職を狙う吉川がキーパーソンでなく、社員全員がタイムリープに気が付く展開が見ていて新鮮でした。

吉川の前に、二人の後輩がタイムループを繰り返していているものの、直接吉川にその事実を伝えるよりも、少しずつ時間が繰り返している事を認識させていく工程が回りくどいと思って見ていたのですが、その後、後輩二人が吉川に上申制度を利用して、吉川の先輩、そのまた先輩、最後に部長伝えるための手段だったと伝えるシーンで納得しました。

そして、同僚を一人、また一人とタイムループの事実を認識させて、最終的には同僚全員で、本丸である部長にタイムループの事実を信じて貰うのがこの映画の肝な訳ですが、信じて貰う手段がプレゼンというのが現実的で、ラフな格好でのプレゼンから、カメラワークが移動した瞬間、全員がスーツを着てのプレゼンへと変わり、そこでの部長のやり取りが、切実でありながら何処か可笑しさがある名シーンでした。
なにより、部長を演じているマキタスポーツの演技がとても良かったです。

哀愁とチャーミングを併せ持つ奇跡のバランスはキャスティングの勝利と言っても良いでしょう。

それにしてもクライアントが思い付きで無茶ぶりする感じ、ありそうで本当に嫌でした。

私にとって異業種なので想像でしかないのですが、多分、あるのでしょうね、こういう事は。
あと、凄く軽薄な感じが電話の声で分かるのも、演じている役者の演技が上手いからこそだと思います。

そもそも、「味噌汁専用炭酸タブレット」で何だよそれ?

 

地獄のような一週間を過ごす羽目になっている原因は、今度発売予定の「味噌汁専用炭酸タブレット」なる物。


映画内で説明しているのですが、コンセプトも意味も良く分からない。世の中に無いからこそ、プレゼンで興味を引くために、資料制作のしわ寄せが押し寄せてくるのが現状。
しかし、タイムループを繰り返していくうちに、無茶なクライアントの仕事の発注に対して、プレゼン資料のクオリティがドンドン上がっていくのが見ていて痛快でもあり、味噌汁専用炭酸タブレットを購入したくなりました。

このタイムループは、クライアント先の大手広告代理店に転職を目指す吉川にとっては渡りに船な訳で、この状況をどう生かすかに重点を置いているのが、この映画ならではの設定でした。


あと、この映画の登場人物がタイムループだからと言って、仕事をサボったり無茶苦茶にしない事に好感を持ちました。


根底には、このループがいつ終わらないか分からないので、羽目を外すにしても元に戻れる程度にするという分別を持ち合わせているので、映画のストーリーがブレないまま進むのも良い。

 

会社の先輩にタイムループの話を伝えているリアクションが、仕事が激務に次ぐ激務なので。死んだ顔で「そうっすよね。」と聞く耳を持たない感じがリアリティがありました。

ハトがオフィスのガラスに衝突する事がタイムリープしている合図となるのですが、この職場にハトがガラスに衝突しなかったら、職場の全員が一生激務の中を生き続ける地獄のような日々を繰り返すと思うと、ゾッとしましたな。


自分のためか、相手のためか。

 

仕事を早く終わらせた吉川に、転職を目指している大手広告代理店から電話があり、会社に伺う事に。


そこで、憧れの社長に合うも、社長からは「結局、一人よ。誰も助けてくれないから。」と、ノートパソコンで仕事をしながら言われる吉川。


でも、社長の言い分も分かる。

社員に対してキツイ言動も感じたが仕事を請けている責任と重圧があるため、しっかり仕事をしてくれないと会社が傾く可能性もあるので、単純に善だ悪だと判断できない作りになっている。


同じ日々を繰り返す現状のなか、同僚の一人が部長が身に付けているブレスレットが原因とみて、部長自らの手でブレスレットを壊して貰う事に、これで、やっとタイムループから解放されると思いきや、やはり解放されない。

 

何か部長が心残りがある事を解消すればいいのでは?という話になり、ここからこの映画が急展開します。


ベテランの社員が、実は一番最初にタイムループに気が付いていたという事実。

今まで黙っていた理由は、前から言っていたが皆が信じてくれなかったから。という正論中の正論。
ベテラン社員が手にしているのは、部長が描いていた書きかけの漫画が描かれた原稿用紙。

この未完成のままにしている漫画を皆で手分けして書いて、最後のコマを部長に書いて編集者に送れば、もしかして、タイムループから抜け出せるという一縷の望みでマンガ作成に乗り出します。

 

イムループを脱するためには、マンガを完成すべし!!!!


同僚が全員、Gペンとインクを購入して漫画を作成する展開に。
それと同時に、クライアントの仕事もあるから最低限の仕事をしつつ、というルールも設けながら漫画を描き続けます。


全員ペンだこを作って、服もインクに汚れながら漫画制作に明け暮れる日々で、マンガが完成して部長に提出しても、マンガを編集部に送る事を部長が拒否し続けるので結局タイムループを繰り返すことに。


同僚も、仕事そっちのけで漫画制作に没頭して仕事が疎かになっていくなか、吉川だけが何とか仕事を済ませようと奮闘するも、全然手が足りずに困窮するのですが、その根底には転職するチャンスを逃してしまうという切羽詰まった事情があるものの、何とかしようとする吉川。

ある日、仕事を終わらせようと苦慮していると。部長が平身低頭でクライアント先に謝りながら電話をしている姿を目にするのを見た吉川。

その後で、同僚にマンガ制作に心血を注ぐことを決意します。

 

その時吉川は、自分本位ではなく、他者のために仕事をする事を選択した訳です。

もしかしたら憧れていた社長は、未来の吉川の姿だったとも考えられます。

憧れていた社長のワンマン体制の仕事と、マンガを作成するという共同作業が映画の演出として対比にもなっているので、凄い良いシーンとして印象に残りました。

 

そこで、マンガを完成寸前まで作成して、部長に提出する際に、この漫画を読んた感想のアンケート結果を提出したり、言葉で奮起させたりと社員総出で、部長にマンガを書いて貰えるようにお願いしていると、すこしずつ部長が自己開示をしていくのですが、それが私にとって、突き刺さった所もあって涙ぐみそうになりました。

部長の「他人のためだったら幾らでも応援する。でも、自分の事になると途端に自信が無くなって駄目なんだ。」は分かる、分かり過ぎてヒリヒリする。

マンガを発表する事が怖い。という言葉に対して「表現するというのはそういう物です。その考えに至っているという事は、部長は土俵に乗っている状態なんです。」は凄く勇気づけられました。

 

私も、こうして映画の感想をブログで書いていますが、ブログをアップする時はいつもビビりながら更新しています。


やはり恥ずかしいし、怖いんですよね評価される事が。
じゃあ、何で更新するかと言えば、恥ずかしさや怖さより、表現したいという思いの方が強いからです。


だからこそ、部長の考えは私の心に響きました。

話は戻って、部長が勇気を出して最後のページをペン入れして編集部に送ります。


吉川達が会社で目が覚めると、ハトがガラスに激突する音が鳴り響いたと思ったら、そこにハトは無く、部長がよろけて壁にぶつかった音で、タイムループから脱出した事を確信した同僚の面々。


しかし、このタイムループが終わる事は即ち、クライアントの仕事を全て放棄する事になるので、クライアントから吉川にブチ切れ電話してくる訳なのですが、そこは部長が矢面に立って上手くその場を治めます。

クライアント先の営業にも同情しますが、無理なスケジュールで仕事を振っていた訳ですから、自業自得な部分もあるんじゃないんですかね。(突き放すような感じで。)

 

最初、悪い人では無いけど頼りなさげな上司だったのが、最後は滅茶苦茶頼りになる上司へと印象が変わりました。

 

時間も82分と短く、見やすいので是非ご覧ください。


個人的にスタッフロールの最後のシーンで、全員で飲み会のシーンがあっても良かったかなと思いましたな。

 

 

イムループのジャンルで、一番好きな映画だったりします。

君たちはどう生きるか

 

 

宮崎駿のイマジネーション度 ∞

※ネタバレあり。

 

解説

宮崎駿監督が「風立ちぬ」以来10年ぶりに手がける長編アニメーション作品。

千と千尋の神隠し」で当時の国内最高興行収入記録を樹立し、ベルリン国際映画祭でアニメーション作品で初となる金熊賞、ならびに米アカデミー賞では長編アニメーション賞を受賞。同作のほかにも「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「ハウルの動く城」などスタジオジブリで数々の名作を世に送り出し、名実ともに日本を代表する映画監督の宮崎駿。2013年公開の「風立ちぬ」を最後に長編作品から退くことを表明した同監督が、引退を撤回して挑んだ長編作品。

宮崎監督が原作・脚本も務めたオリジナルストーリーとなり、タイトルは、宮崎監督が少年時代に読み、感動したという吉野源三郎の著書「君たちはどう生きるか」から借りたものとなっている。

2023年製作/124分/G/日本
配給:東宝

以上、映画.comより。

いっさいCM告知をせずに劇場公開したジブリ作品というだけで、歴史的価値がある。

 

それが可能なのは、長年アニメ制作に携わっている。宮崎駿スタジオジブリが作り上げてきた信頼と実績。

その一言に尽きると思っている。

 

一切のCMも宣伝もしないと知った時「とはいえ、そういう宣伝なんでしょ?」

「主要キャラの情報を小出しに出しつつ、興味を煽るんでしょ?」と野次馬根性丸出しで不遜な事を思っていたが、7月23日現在、公式ホームページも一切なく、

『最新情報』として最低限のポスターの画像のみという徹底ぶりに狂気さえ感じている。

原作は2018年頃に『君たちはどう生きるか』ブームがあって、その時読んでいたのですが、この映画は原作を読んでいた方が衝撃度が増します。

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冒頭5分間は、映画アニメの歴史に残る大傑作だった。

 

「オススメ度が∞とか書いている奴が何を言ってるんだ。」と思いでしょうか、冒頭5分間は本当に傑作でした。

 

冒頭5分間で面白くなさそうと思った映画は、大体面白くない。と書いていたのは、映画評論家の淀川長治氏ですが、この映画の冒頭5分間は映画館で見る価値があります。

空襲で目が覚める眞一。父親と一緒に二階に駆け上がり外の風景を見ると、母親が入院している病院が火の海に包まれている。

 

すぐに支度を整えて病院に走る眞一。その間も火の粉や、逃げ惑う人々が眞一を遮る。

その、火や人々が逃げ惑うアニメ表現を見た時、宮崎駿が躍動しているような錯覚を覚えるくらい、それはスタジオジブリのアニメ表現そのものでした。

その後、戦争で東京を離れて疎開するシーンになってからの『君たちはどう生きるか』のタイトルが表示されるまでの間。

自分の目はキラキラしっぱなしでした。

 

君たちはどう生きるか」の原作を読んでいた時の感想は、とても地に足の着いた話だったのを覚えていて、クラスメイトが授業を休んで家業の豆腐屋を伝っていたり、目に見えない社会の関係性を可視化する大切さについて書かれていたような気がします。

だからこそ、この映画が、まさかファンタジーの世界になった時は度肝を抜かれましたよ。

 

この映画の途中で、眞一が原作の『君たちはどう生きるか』を読み込むシーンが出た時は「それ、ありなの?」と思いました。涙ぐみながら読み終えていましたが。

てっきり、その原作を眞一が体験するんじゃないのか、メタフィクションなのこれ?見ていて混乱しました。

多分、これは宮崎駿の「これで原作のパートは終了。ここからは、俺の『君たちはどう生きるか』の映画パートだから」という宣言なのだと解釈しました。

 

眞一が疎開先で生活するあたりから、宮崎駿の創作エンジンに火が付き始めていきます。

 

疎開先の屋敷には、5人のおばあさんが使用人として登場するのですが、何故かおばあさんだけ、違うジブリ作品のようなビジュアルなのが凄いインパクトでした。

眞一や父親は『風立ちぬ』のような絵柄に対して、おばあさんは『ハウルの動く城の』にでてくる、荒れ地の魔女のおばあちゃんみたいなテイストなので、登場すると違和感が凄い。

疎開先で新しい母親になる、身ごもっている義理のお母さんが森に消えていって、それを探しに行く眞一。

 

そこで、登場してくるのがアオサギなのですが、アオサギがまぁ気持ち悪い。ただの悪口になるのですが、よくもまぁ、こんなに可愛げの無いキャラクターを創作出来るなぁ、と感心するくらい。アオサギが気持ち悪くて、逆に印象的でした。

 

アオサギが、言う訳ですよ。「お前のお母さんは下の世界で生きている。」と。

下の世界?ずっと頭から、?マークを出していましたが、映画は下の世界というか、異世界に行く流れになる訳です。

 

宮崎駿がこの映画を何故、告知を一切せずにこの映画を公開したかった理由が、何となく理解できたような気がした。

 

もし、この映画のCMを作成したら、確実に本質から外れるのが出来上がるのを嫌がったのではないでしょうか。

「この夏、ジブリが送る。不思議な冒険」とかCMでテロップで出された日には、勘違いして大挙して映画館に来る人たちを抑制したかったのだと解釈しました。

この映画、口コミで大ヒットするような内容でもなく、どちらかというと、淡々としているので、作品を純粋な状態で見て欲しいという願いもあったのだと思います。

 

映画も、死、食物連鎖、民族の奮起などを具体的や抽象的な表現を駆使していたりしますが、最終的には、少女と出会い、義理のお母さんを救います。少女というのが、病院で亡くなったお母さんだったりします。

 

ネタバレ終わり。

 

それよりも、途中で出てくるお爺さんがいるのですが、机に色々な形をした積み木を不安定に積み上げていて「積み木が倒れないようにして、この世界を保つのが私の仕事だ。」と言って、眞一にこの仕事を継いでくれ。と頼むのですが、眞一は現世に帰るため断ります。

それでも、引き下がるお爺さん。何なら、積み木を一つ増やせるから、これでこの世界の秩序や平和を君の力で保つことが出来る。とか、言ってくるので。

正直見ていて「うるせぇ!!黙れジジイ。」と思いました。

破綻寸前な世界を若者に託そうとする事自体腹が立つし、それと増やせる積み木も、形としては不安定な形をしているのも腹が立つ。

お前が作った世界なら、お前がケツを拭けよって話ではないでしょうか。

結局それも、眞一の後を追っていた者が、勝手に積み木を積み上げ倒れたため、崩壊して行く異世界と、そこから脱出する眞一たち。

母親だった少女も、別の異世界へと脱出して、眞一と別れを告げました。

 

この映画は、宮崎駿の宿題だと思いました。

 

今は解けない難問だが、時間を置くと新しい発見や気づきがあるかもしれない。

そんな問いが無い事を問い続けるような難問が『君たちはどう生きるか。』という映画なのだと思っています。

 

私はこの映画を観て良かったと心から思ったのですが、他人にお勧めするには躊躇する。そんな映画でした。

鑑賞後も自分の中で消化できず、他人にお勧めするには気が引けるような映画なので、自分の目で確かめていただければと思います。

 

自分の宝物を見せた時に、それを否定や嘲笑された時のショックは計り知れないので、誰にも見せない宝物のような映画でもありました。

 

 

この映画のタイトルは『君たちはどう生きるか』以外にありえなかった。

 

 

宮崎駿と同じ原作を見ているはずなのに、私の想像力は何て乏しいのだろうか。

君たちはどう生きるか』を読んで、こんな物語を想像する事何て出来なかった。

だからこそ、この映画を観て「想像力はもっと自由でもっと好き勝手して良いのだと。」御年82歳になる宮崎駿から言われているような気がしました。

 

吹き替えを担当した木村拓哉菅田将暉は、最後まで分かりませんでした。

特に菅田将暉は凄かったです。

 

 

 

 

 

アフターサン

 

オススメ度 89

ネタバレあり。

 

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解説

父親と2人で過ごした夏休みを、20年後、その時の父親と同じ年齢になった娘の視点からつづり、当時は知らなかった父親の新たな一面を見いだしていく姿を描いたヒューマンドラマ。

11歳の夏休み、思春期のソフィは、離れて暮らす31歳の父親カラムとともにトルコのひなびたリゾート地にやってきた。まぶしい太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、2人は親密な時間を過ごす。20年後、当時のカラムと同じ年齢になったソフィは、その時に撮影した懐かしい映像を振り返り、大好きだった父との記憶をよみがえらてゆく。

テレビドラマ「ノーマル・ピープル」でブレイクしたポール・メスカルが愛情深くも繊細な父親カラムを演じ、第95回アカデミー主演男優賞にノミネート。ソフィ役はオーディションで選ばれた新人フランキー・コリオ。監督・脚本はこれが長編デビューとなる、スコットランド出身の新星シャーロット・ウェルズ。

2022年製作/101分/G/アメリ
原題:Aftersun
配給:ハピネットファントム・スタジオ

 以上、映画.comより

 

季節とリンクした映画を見ようと思った。

季節は夏真っ盛り、そうであるならば、夏が舞台となる映画を映画館で見る方が、より映画との一体感を得られるのではないか?という理由で今作品を鑑賞しました。

一体感は得られる事は出来ましたが、食らった映画でもありました。

 

冒頭に流れる、親子で撮影していたビデオカメラの映像で映画の世界に引き込まれます。

 

11歳の娘のソフィは世界が輝いて見えて。31歳の父親のカラムの世界は哀愁を帯びている。

ソフィアが少し年上のグループに憧れて、背伸びして参加するシーンとかキラキラしっぱなしで、曇り空一つ無い、青空を彷彿させる。

それに対して父親のカルムは、どこか不安げで常に無表情だったりする。

色合いとしては、この映画のポスターでもある曇り空を感じさせる。

この時点で、ソフィはカルムの心の変調について気付いていない。

気が付いたとしても、何も出来ない歯痒さがだけが観客にのみ積み重なっていく構造になっている。

 

カラオケ大会で、歌唱するソフィアが父親のカラムと会話するシーンで、歌が上手くないソフィアに対して「歌唱力は技術で何となるから、ボイスとレーニング教室に行くか?」と聞くカルムに対して、フィリーナの「お金ないクセに。」と返すのが、本当に辛辣。

大人にとって金銭的余裕が無い事を指摘されるのが、一番精神的に堪えるはず、しかも、それを愛娘から言われるキツさと言ったら、あまりにも気の毒で、カラムの顔を見る事が出来なかったくらいだ。映画なのに。

 

売り言葉に買い言葉での会話とはいえ、子供の最短距離で現実を突きつけてくる言葉の破壊力は本当に残酷だ。

とはいえ、子供の頃を思い出すと、今なら青ざめるような事を大人に対して言っていた記憶がある。

その時は『語彙力も無く、悪意が無い馬鹿な子供。』というカテゴリーとして処理されていたのか、奇跡的にお咎め無しで済んでいたのが奇跡だった。

 

他にも、フィリーナがビデオカメラを回しながら、カラムにインタビュー方式で質問をする際に「誕生日を迎えて130歳から131歳になった感想は?」聞くところもそうだ。

勿論ジョークだし、カラムとの関係性があるからこその発言でもある。

11歳の少女から見れば、31歳という年齢は遥か先にあるイメージだったりする。

しかし、父親のカラムは、30歳から31歳に年齢を重ねる事に焦燥感があるが、その事を娘は知らない。

この映画では常に、同じ風景を見ているはずなのに、父と娘はすれ違ってしまう。

 

ソフィにとって、クソ野郎がいない世界。

この映画の序盤に、バイク・レースゲームの対戦を挑むソフィと同年代の少年が登場したり、少し年上のグループと交流したりと。リゾートを満喫するソフィ。

年上のグループたちのプールサイドでの飲み会に参加する際に、不穏な雰囲気が映像から醸し出される時があり「ソフィの身に何かあったら、父親の代わりに俺が殴らなければ。」と拳を握っていたりしたのですが、何も起きずに一安心。

よく見ると、年上のグループたちの飲み会は、仲間同士で酒を飲ませあうだけで、誰もソフィに飲酒を進めるような輩がおらず、みんな、好青年でした。(ソフィの前でベロチューするカップルはいましたが。)

 

ただ、バイク・レースゲームで知り合った少年。お前は駄目だ。

飲み会から帰宅する際に、迷ってロードマップを見ているソフィに後ろから抱き着こうとした時点で、アウト。

すぐさまソフィアが反撃して事なきを得たので、今回はお咎め無しだが、また同じ事をしたら、そのまた後ろからお前を殴って阻止する。

結局、その少年とプールサイドでキスをするわけですが、無事に帰宅したソフィアがその事をカルムに報告すると、カルムも「まぁ、同年代だったらいいか。」と言っていたので、この件は不問とする。

と思うくらいに、この映画のソフィア役の存在感が良くて、縁もゆかりも無い私を遠い親戚のおじさんにさせるくらいの溌溂さ。

役者としても将来有望になる事だろう。

 

鑑賞している人だけが認識する、カラムの危うさ。

 

夜のベランダから、落ちる素振りを見せたり、違う日にはベランダの手すりに立ってたりするので、普通に危なっかしい。

他にも、ホテルで歌謡ショーをみながら外でディナーを食べている途中で、財布が無い事に気が付いて、二人でその場からどさくさ紛れて逃げたりしている。

かなり、精神的に不安定なのは見て取れる。

そんな中、誕生日にいい思い出が無かったカラムを思ったフィリーナが、バスツアー中に、サプライズとして同乗者から誕生日おめでとうの歌をプレゼントするサプライズを披露した時の、カラムの表情が本当に印象的だった。

どう喜んでいいのか分からずに、ただ困惑しているのだ。

カラム役のポール・メスカルの演技に引き込まれる。

その後、カラムが背中姿で嗚咽してるシーンが強烈だったのだ。

最初、フィリーナが他人を思いやる優しい子に成長した事による感激の嗚咽と思ったのだが、ひたすらに続く嗚咽で、その意味を理解した。

憶測ではあるが、この瞬間にカラムはこの世と決別する事を心に決めたのではないだろうか。

 

この映画の静かさを味わうには、映画館で体験するしかない。

 

この映画の特徴は、とにかく静かなところにある。キャラクターが無駄に叫ばない、心情を吐露しない。ただ、最低限の演出と演技で説明を済ませている。

11歳のフィリーナの他に、時間が進んで31歳になったフィリーナが登場する場面があるのだが、パートナーが女性で赤ちゃんを育てている描写が最低限の映像と赤ちゃんの泣き声で演出されている。

そこにはドラマ性は無く、ただ日常として描かれているのが個人的には良かった。

同性愛がセンセーショナルという考えがもう古い。

これぐらいフラットで問題無い、そもそも、問題無い事をしているのだから。

 

そして、この映画はカラムが自ら命を絶ってしまった描写は一切描かれていないのですが、鑑賞した人は、カラムはこの世に存在していないと思う事でしょう。

 

決して万人にオススメ出来る映画では無い。しかし、この映画は存在する意義がある。

そういう映画だと思います。

 

今の私にとってこの映画のオススメ度は89であるだけで、駄作という事では決してありません。

一瞬、立ち眩みするような暑い日にこの映画が上映しているのならば、ぜひ映画館でご覧ください。

 

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この映画の鑑賞後に、この動画を見ると。泣けてきます。

 

 

 

スマートじゃないので、スマートウオッチを購入して見た感想など。

タイトルでスマートでは無いとは言ったが、ちょっとメタボぎみなだけで、決して、太っているという事ではない。
今のところ、靴紐を腰を下ろして結べて、カロリーゼロのジュースを飲んでいるのでギリ大丈夫だと認識している。
しかし、その大丈夫は本当に大丈夫なのか?と自問自答している時にスマートウオッチの存在を知った。

それと同時期くらいかに、家族が使用していて気にはなっていたのだが、先日アマゾンでセール中なのを知り、資本主義の権化として今回購入することにした。

これで、生活QOL爆上がりだぜ!!!

ちなみに、スマートウオッチが算出した標準体重は57キロだという。
今現在の体重は68キロ。ダイエットに王道無し、道は険しいという事か。
それにしても、標準体重の基準厳しくないすっかね。ボクシングの階級じゃないだから。
一度59キロまで落とした事もあったが、全然身体に力が入らなくて生活に支障が出た事があったので、私の標準体重は64キロとする。
今、決めた。
 

最初に、スマートウオッチのデータをスマホと連動させるためのアプリをダウンロードする必要があるのがハードルが高かった。

横文字を多用する人間は、大事な情報をはぐらかそうとする詐欺師。という偏見が私にはあるのだが、まさにこの文章が詐欺師のような文章になってはいるが、この後も読んでいただけると幸いだ。

これ、近未来SFの世界だ。

スマホとスマートウオッチのデータを連動させて、早速使用して見ると。
その機能性に驚いた、心拍数、血中酸素、歩数、睡眠時間、運動消費カロリーなどがデータ化される。
今まで、腕立て伏せやスクワットの消費カロリーについては、大まか過ぎてデータを取っていなかったのだが、心拍数の上がり具合などから消費カロリーを算出してくれるのは、普通に助かるし運動するモチベーションにもなるので凄く良かった機能だと思う。
ちなみに、ふくらはぎを鍛える『カーフレイズ』という筋トレがあるのですが、それをすると心拍数の数値が一番上がったので、積極的に取り入れて、定期的に心拍数を上げていこうと思っています。

個人的に1分から5分の間で深呼吸のタイミングを教えてくれる『呼吸訓練』というモードがあるのですが、これが凄く便利でした。

息を吐く、息を吸うタイミングをスマートウオッチが振動する事で教えてくれるこのモード。

歩きながら深呼吸を無理なく出来るので、心身共にリラックス効果を実感しました。

機械に人間の健康を管理させるなんて、子供の頃に夢見た未来じゃないの。


私が子供の頃に見た、近未来の予想図には、透明なパイプに車輪の無い車が走っていたり、ビルの代わりに銀色の建築物があったりしたものだが、当時は「透明のパイプの中で交通事故が起きたら大惨事になるし、現実的では無いな。」と思っているような子供でした。
話は戻りますがスマートウオッチのデータについては、値段も考慮すると、大体の目安として活用するのが良いのかも知れません。
これから、長い期間で使用する予定なので、今から楽しみでもあります。

インディ・ジョーンズと運命のダイヤル

 

オススメ度 93

 

 

※ネタバレあり

 

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解説

ハリソン・フォード演じる考古学者インディ・ジョーンズの冒険を描くアドベンチャー映画の金字塔「インディ・ジョーンズ」シリーズの第5作。前作から15年ぶりの新作となり、過去4作でメガホンをとったスティーブン・スピルバーグジョージ・ルーカスとともに製作総指揮を務め、「LOGAN ローガン」「フォードvsフェラーリ」のジェームズ・マンゴールド監督にメガホンが託された。

考古学者で冒険家のインディ・ジョーンズの前にヘレナという女性が現れ、インディが若き日に発見した伝説の秘宝「運命のダイヤル」の話を持ち掛ける。それは人類の歴史を変える力を持つとされる究極の秘宝であり、その「運命のダイヤル」を巡ってインディは、因縁の宿敵である元ナチスの科学者フォラーを相手に、全世界を股にかけた争奪戦を繰り広げることとなる。

宿敵フォラー役を「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」「アナザーラウンド」など国際的に活躍するデンマークの名優マッツ・ミケルセン、インディとともに冒険を繰り広げるヘレナ役をドラマ「Fleabag フリーバッグ」「キリング・イヴ Killing Eve」のクリエイターとしても知られるフィービー・ウォーラー=ブリッジが務める。そのほか、「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」にも登場したサラー役のジョン・リス=デイビスがカムバック。スペインの名優アントニオ・バンデラスも出演する。シリーズおなじみのテーマ曲を手がけた巨匠ジョン・ウィリアムズが引き続き音楽を担当。

2023年製作/154分/G/アメリ
原題:Indiana Jones and the Dial of Destiny
配給:ディズニー

以上、映画.comより

 

子供の頃テレビで見てた、あのインディー・ジョーンズが帰ってきた。

 

子供の頃、週末となるとロードショー番組を見る事が楽しみだった。

昔のラインナップは、急にホラー映画を放送したりするので、どんな映画が放送されるのかも含めてドキドキしていた。

その中で、インディー・ジョーンズシリーズが放送されていると、得した気分になって、眠たい目を擦りながら見ていた記憶がある。

そんな主演を演じたハリソンフォードが81歳を迎え、最後のインディー・ジョーンズと聞かされたら見に行かざるを得ない。

見ようと思ったらすぐ行動あるのみ、家族とのメールをここに掲載する。

濃い青の吹き出しが私である。

 

 

映画を見に行く、速度感とライブ感を共有していただきたかった。

 

80年代アクション映画の荒い部分も含めて表現した部分に、製作者の愛を感じた。

 

若い時のインディー・ジョーンズの活躍からスタートしてから、ジェットコースターのごとく、アクションシーンが連続で続く構成。

ナチスドイツが戦利品で奪った骨董品から、運命のダイヤルを奪い返すインディー・ジョーンズ。

 

パレードを馬で駆け抜たり、小型の三輪タクシーでカーアクションしたりと、

これこそ、子供の頃に見ていたインディー・ジョーンズそのもので感涙しました。

 

80年代アクションの荒い部分と書いたのは、良い意味での脇の甘さと言うか、「そうはならないだろうに。」という物語の展開だったり、登場人物の行動原理だったりするのですが、この映画に関して言うとそれは無粋と言うもの。

映画に隙があろうとも、インディー・ジョーンズのメインテーマと、帽子と鞭がスクリーンに登場したら、テンションが上がりまくりました。

この映画を一言でいうならば「そんな細かいこたぁいいんだよ!!」なのですから。

 

そもそも、運命のダイヤルが二つ揃うと時空を越えられる設定がある時点で、何でもアリなのですから。

何でもアリとは書きつつも、映画としては破綻していないバランスなので、見ていて映画に集中出来ました。

 

ナチスドイツの敵役が少し印象が薄い部分もありましたが、そこは名優マッツ・ミケルセンの存在感でカバーしていましたな。

ただ、冒頭の列車の上での格闘シーンを見た限り、無事で済まない速度で木にぶつかって退場したので、てっきり亡くなったのかと思っていたのですが、無傷で登場した時は少し違和感がありました。その時のカメラワークが下から上に向かって顔を映すしていたので、何かしら顔に傷があったり、眼帯を装着していたりするのではと、期待したのですが、顔が無傷のままで普通に登場したので、拍子抜けしました。

映画の筋とは関係ないのでどうでも話ではあるのですが。

 

ヒロインのヘレナに感じた違和感と向き合う。

 

ヘレナは、活動的で、お金のためになら親友を裏切るのも躊躇しない、自分の考えた事に対して忠実に行動しているが根は良い奴。と言った感じなのですが、端的に言えば、憎めないクソ野郎。と言ったところでしょうか。

このヘレナが登場した時に、一瞬、「いけ好かない奴が登場したな。」と思ったのですが、「ちょっと待てよ。」と思い直しました。

ヘレナ的なキャラクターが、男性だったら、違和感無く見ていたでしょう。

これはその違和感に、違和感を感じなくてはイケナイ案件だなと感じました。

アウトローなキャラクターが女性が演じた途端に、酷い奴だな。と思う事自体、無意識的な差別意識があったなと、自覚しました。

 

これから、ヘレナのようなキャラクターが登場していくべきだなと、これにより、凝り固まった規範を揺さ振って欲しいなと思った次第です。

 

インディー・ジョーンズシリーズの最後に相応しい作品だった。

 

ここからは、ネタバレしますが、ナチスドイツの残党が、運命のダイヤルを奪還して、ナチスドイツが戦争で勝利するために、ダイヤルを戻して時空の歪に爆撃機で入っていくものの、行きついたのは古代ローマの戦争風景。

そこには、ダイヤルを製作者したアリストテレスが存在していた展開は、滅茶苦茶に良くて、痺れました。

古代ローマの武器で爆撃機を墜落させようとするシーンは、絶対に見る事の出来ない光景なわけで、それを見られただけで、映画という存在価値がこういう所にあると確信しました。

 

時空の歪にインディージョンズの仲間が運転していたセスナも入っていたことで、元の世界に戻れる体制は整っているものの、インディー・ジョーンズが古代ローマに残ると決意するシーンはグットきました。

 

奥さんとも分かれ、息子も戦争で亡くし、自分の戻る居場所は元の世界には無い。

 

その絶望感から、インディー・ジョーンズが頑として古代ローマに残ると言い始めるシーンは、年齢を重ねたハリソン・フォードと重なってより切実さが増した名シーンなのですが、最後はヘレナがインディー・ジョーンズを殴ってセスナに乗せて元の世界に戻っていました。

ヘレナ、グットジョブ。

 

そんなこんなで、元の世界に戻り、自分のアパートで目が覚めるインディー・ジョーンズ。

そこで彼が目にしたのは、ヘレナと冒険仲間、そして、別れたはずの奥さんだったいうね。

 

奥さんとキスをして、外に干されているトレンドマークでもある帽子を手を伸ばして、取るところで映画がスタッフロールになりました。

 

過去では無くて、未来を目を向けようぜというメッセージを勝手に受け取って、涙ぐみましたよ。本当に。

 

スタッフロールで、あのメインテーマが聞けて感無量でした。

 

ただ、ひとつ気になった事があって。

この映画、途中でヘレナと少年が加わるのですが、この少年がナチスの残党に捕まり、相手と自分に手錠を掛けられて連行されていった際に、つり橋から足を滑らして少年共々落下するシーンの後で、水の中で金網に子供が出られるくらいの穴が空いていて、少年が手錠のカギを取り、自分の手錠を外し、その外した手錠を金網にセットして、脱出するシーンがあるのですが、そのシーンを見て、がっかりしました。

何故なら、子供に殺人をさせているシーンだからです。

その後、金網に手錠をセットされた人物が、助けられたシーンも無ければ、それ以来登場しません。

という事は、多分そのまま溺死したと考えられます。

なので、その後自力で脱出して、水面から顔を出しながら「あのガキ、覚えていろ。」のシーンが必要不可欠なのです。

 

こういう話をすると、「映画だろ?本気になるなよ。」と言ってくる人間もいますが、それは違う。「映画だからこそ、死守しなくてはいけないのです。」

 

これは品性の話になるので、話が平行線なりやすいのも理解しているのですが、この部分は見ていて凄く嫌な部分でした。

 

 

 

 

 

 

スパイダーマンアクロス・ザ・スパイダーバース

 

オススメ度 99

 

※ネタバレあり。

 

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解説

ピーター・パーカーの遺志を継いだ少年マイルス・モラレスを主人公に新たなスパイダーマンの誕生を描き、アカデミー長編アニメーション賞を受賞した2018年製作のアニメーション映画「スパイダーマン スパイダーバース」の続編。

マルチバースを自由に移動できるようになった世界。マイルスは久々に姿を現したグウェンに導かれ、あるユニバースを訪れる。そこにはスパイダーマン2099ことミゲル・オハラやピーター・B・パーカーら、さまざまなユニバースから選ばれたスパイダーマンたちが集結していた。愛する人と世界を同時に救うことができないというスパイダーマンの哀しき運命を突きつけられるマイルスだったが、それでも両方を守り抜くことを誓う。しかし運命を変えようとする彼の前に無数のスパイダーマンが立ちはだかり、スパイダーマン同士の戦いが幕を開ける。

オリジナル英語版ではシャメイク・ムーアが主人公マイルス、ヘイリー・スタインフェルドがグウェン、オスカー・アイザックがミゲルの声を担当。

2023年製作/140分/G/アメリ
原題:Spider-Man: Across the Spider-Verse
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

以上、映画.comより。

 

映像表現を見続けられる事による多幸感で、映画を見終わったら椅子に座ったまま死んでも良いと思った。

 

この映画が公開されて久しいですが、前作『スパイダーマン・スパイダーバース』を鑑賞していて、何も情報を入れずに映画を未見の状態でしたら、いますぐ、こんな野良ブログなんて見るのを辞めて、映画館に足を運んでください。

 

この感想ブログの1億倍面白いです。1億倍です。

大切なのは、この映画を映画館で体験して貰う事なのですから。

ちなみに、私は映画を見た後、このまま死んでも良いと思いました。

 

 前作の『スパイダーマン・スパイダーバース』を鑑賞した時も、違う絵柄のスパイダーマンが違和感なく動き回るCG表現に圧倒されたのですが、今作は、もっとCG表現がブラッシュアップされて、上映後は余韻で立てませんでした。

 

 アメコミの知識が無いスパイダーマン初心者の素直な感想は、「こんなに、スパイダーマンの派生キャラクターがいるの?」でした。

というより、蜘蛛に噛まれて、スパイダーマンマスクを被れば、とりあえずスパイダーマン。というのが良い意味で緩い。

中には、カウボーイ版スパイダーマンというのがいて、馬にもスパイダーマスクを装着していたのですが。さすがにマイルス・モラレスから「馬にマスクいらなくない?」と指摘されていました。

それだけ、スパイダーマンというキャラクターが大衆に受け入れられたという事なのだなと理解しました。

勿論、スパイダーマンの絵柄もそれぞれ違うのに、集団で登場する時には統一感があるのも、CG技術の凄さを感じました。

 

軽妙洒脱なトークの中に感じる物悲しさ。

 

スパイダーマンが他のヒーローと出会うと、お喋りで余計な事を言いがちなキャラクターなのは、基本的に一人で活動していてずっと孤独だから、という背景を知るとまた違った見え方になります。

 

この映画は会話のシーンが多くであるのですが、マルチバースで登場する、様々な時代や国で活躍するスパイダーマンは、自分が原因で大切な人を失い、誰も自分の正体を知っている人がいない。という、共通する悲しみを持っています。

全員その事に打ちひしがれ、抵抗を試みるものの上手くはいかず、その経験があったから、今の私がいると受け入れている状態になっている。

悲壮感を漂わせているのはミゲル・オハラぐらいで、他のスパイダーマンたちは淡々と会話しているものの、心の底では悲しみにくれているのが、スパイダーマンとキャラクターの根幹となる部分と思いました。

 

その課題に主人公のマイルス・モラリスが立ち向かう事で、この映画の推進力が爆上がりするのも必見です。

 

これ、続編あるの?が一番驚いた。

 

これが私が一番驚いた部分で、映画終盤でどうなるの?からの、前作のキャラクターが再登場という流れで、最後『続く』の文字。

少し、あっけには取られましたが、この続編をみるまでは死ぬわけにはいかない、生きる理由が増えました。

 

この映画を見ている最中は、このまま死んでも良いと思うくらい幸せでした。

理想の死に方として映画鑑賞死もありかなと思いましたな。

映画館関係者にしてみると迷惑千万だと思いますが、まぁ、そこは理想の話ですので、あしからず。

 

オススメ度が99点で、残りの1点は、続編があるの?

驚きというか、もっと、広報活動に力を入れても良いのではないかという理由で、マイナス1点としました。

あとは、その時の雰囲気であるとか、気分も含まれています。

 

冒頭で、情報を入れずに鑑賞してください。と書いている事と矛盾していますが、情報が無さ過ぎるのも不安になるかな。と思った次第です。

 

 

クリード過去の逆襲

 

 

オススメ度 40

 

※ネタバレあり。

 

 

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解説

「ロッキー」シリーズを継承したボクシング映画「クリード」のシリーズ第3作。マイケル・B・ジョーダンが前2作に続いて主演を務め、本作では自ら長編初メガホンをとった。

かつてロッキーが死闘を繰り広げた親友アポロの息子アドニスクリード。ロッキーの魂を引き継ぎ世界チャンピオンとなった彼の前に、刑務所から出所した幼なじみのデイムが現れる。2人はかつて家族同然の仲間であったが、デイムはクリードの少年時代のある過ちによって18年間の服役を強いられ、復讐心に燃えていた。クリードは封印してきた自らの過去に決着をつけるべく、デイムとの戦いに向けて猛トレーニングを開始する。

クリードの幼なじみで最強の敵となるデイムを「アントマン&ワスプ クアントマニア」のジョナサン・メジャース、クリードの妻ビアンカを前2作に続いてテッサ・トンプソンが演じる。

2023年製作/116分/G/アメリ
原題:Creed III
配給:ワーナー・ブラザース映画

以上、映画.comより。

 

『ロッキー』では主演、脚本を担当したスタローンに対し、今作品のマイケル・B・ジョーダンは、主演、監督を担当している事に関して、誠に勝手ながら、スタローンに対抗意識を燃やすマイケル・B・ジョーダンを想像して、その心意気や良し!!と思った次第でございます。

 

大事なピースが埋まらない。

 

この映画には、ロッキーは一切登場しないのですが、ロッキーの痕跡が無かったくらいに、存在感がありません。

ロッキーが経営しているレストランの看板さえワンカットも無い、クリードが経営しているジムは、壁に現役時代のアポロが大きくプリントされているが、ロッキーがいない。

映画を見ながら「あれ、クリードの映画内で、ロッキーって逝去してた?」と一瞬思うくらいにロッキーの気配が無い。

 

この映画のタイトルにもある『過去の逆襲』とあるように、クリードが子供の頃に起こした事件がテーマになっていて、これがきっかけで、幼なじみのデイムが刑務所に服役する事になるのですが、これ、10対0どころか、1000対0で、クリードが原因で、デイムは悪くない。

デイムはとばっちり受けて、刑務所に行く事になったうえに、面会にも来ないという、どう考えてもクリードが悪い。

クリードを擁護するなら、アポロの家に養子として来る前に住んでいた家では、父親から酷い虐待を受けていて、その父親だった人間と、街でバッタリ出会った時に、衝動的に殴りかかってしまった事については、気持ちは分かる。分かるが、それ切っ掛けで、パトカーが集まってきて、デイムが牽制のために銃を構えた事がきっかけで逮捕されて、クリードは逃げ帰ったら駄目じゃない。という話。

 

だからこそ、デイムが出所して、初めてクリードとレストランで合うシーンが凄く切ない。

出所したらもう一回、プロボクサーとしてカムバックして、世界チャンピョンになる夢を語るデイム。それを演じる、ジョナサン・メジャースの演技も相まって、哀愁がとてつも無い。

過去の出来事を持ち出して「俺をプロボクサーにしてくれ。」とクリードに懇願する

デイム。

クリードもデイムもぎこちなく、会話も途切れていく。

沈黙に耐えられなくなったクリードが、「何かあれば、力になる。」と言いながら、お札を渡そうとするのを、デイムは「施しが欲しくて来たわけじゃない。」お札を受け取らないシーンは、緊張感があった。

ここまで見て、やはり思った。ロッキーは何故いない?

もし、この映画にロッキーがいたら、クリードがデイムと再会した後で、ロッキーに相談したらロッキーはこう言うはずだ。「馬鹿野郎、いますぐ謝罪してこい。CV羽佐間道夫」と言われて、デイムに謝罪しにいけば問題が解決するのに。

その場合は、この映画は30分で終わる事になる。

 

この映画にロッキーが登場する事がない、だから、延々とクリードが悩み続ける事になるのだが、この原因を作ったのはクリードなのに、何を悩む事があるのか、ただ謝罪したくないのか?と思うくらいだ。

 

デイムがクリードに会いに来た理由は、心からの謝罪をして欲しかったからで

はないのか、少なくとも私はそう思った。

 

私は、チャドVSドラゴが見たかった。

 

クリードも負い目から、デイムをジムの練習パートナーとして受け入れる事に。

 

クリードのジムには、現世界王者でありながら知名度は今一つのチャドが在籍しているのですが、今度の世界戦のチャレンジャーは、前作のクリードのライバルであった。ドラゴの息子。

前評判も良く、チケットも順調に売れているなか、対戦相手を含めた関係者のパーティが開かれているのですが、そこで、ドラゴが暴漢に襲われて拳を骨折するはめに。

 

急遽、対戦相手を探す必要を迫られたクリードが白羽の矢を立てたのが、デイムだったという。このシーンを見た時に、この映画、なろう系小説が原作だっけ?と思いました。

映画のタイトルも『クリード過去の逆襲』ではなくて「20年近く刑務所で過ごした後で、世界ボクシングチャンピョンになった件。」というタイトルが正式だっけ、というくらい現実感が無い。

 

しかも、ドラゴを襲って手の骨を折った暴漢はデイムとグルだった。
この事実が表ざたになったら、チャレンジャー剥奪されるだろうに。

とはいえ、そこは映画なので、急にリアリティラインの話をした所で、何とかなるものでもないですが、デイムのプロデビュー戦が世界タイトルマッチという破格の扱いとなる訳ですが、デイムのボクシングに対して真摯に取り組む姿勢は本物であって、世界タイトルマッチの体の仕上がり具合は一見の価値があります。

 

ひとつ気になった事は、デイムとチャドの試合は会場満員なんですよ。

チケットの原い戻しを防ぐために話題性を優先させたとしても、こんなに会場埋まるのか?疑問に思った次第です。


せめて、チャドVSデイムは会場の入りが半分くらいで注目されていない中、チャドを倒すデイム、その後のマイクアピールで、次の挑戦者にクリードを指名する。

そして、ネットや新聞の表紙を賑わしてからの、クリードVSデイムで会場が超満員の方が、物語と会場の盛り上がりがリンクする事も出来て効果的なのでは思いました。

映画を撮影した事も無い人間に、こんな事を書かせるんじゃないよ。

純粋に楽しみたいだけなんだよ、私は。

 

ただ・・・映画開始早々にクリード早く謝れよ。と思ったまま、映画が進むのでモヤモヤするのは相変わらずで、クリードが過去の過ちと向き合わず、相手を倒す事で解決するような話の展開は、終始見ていてストレスでしたし、鑑賞しながら「早く謝れよ。」と思っていました・

試合はクリードが勝ち、控室で一人座っているデイムの隣に座り、初めて謝罪の言葉を口にするのですが、何を今更感は強かったです。

 

ドラゴの代わりにデイムが相手をする事を知らされたボクシングのセコンドが「サーカスじゃないんだ。」と激高するシーンは至極真っ当で、ボクシングに関わっている人に対して失礼そのものだと考えての発言だと思うのです。

 

しかしこの映画の対戦カードが、デイムVSチャド、3年ぶりの現役に復帰するクリードVSデイムなので、これこそ、話題作り優先のサーカス興行そのものではないか。と思いたくなくても、思ってしまいましたよ。


私なら、チャドVSドラゴを見たい。見たい!!!!

 

スタッフロール後にアニメが上映されるたのですが、クリードの子孫は火星に行くようです。

クリードはボクシング映画ではなく、これからはSFボクシングアニメに移行するのには驚きを越えて、唖然としました。


これこそ『Shinjidai』の幕が上がったという風に解釈しましたが。どうなんでしょうか。

 

映画の冒頭に、丁寧にスタッフロールの最後にアニメが上映されます。と表示されていたとはいえ、まさかSFに舵を切るとは思わなかったので、上手く状況を呑み込めない私がいました。

 

安易に、この映画は駄目だ何て言いたくないのですが、最後のアニメパートは何だったんだ。というのは素直な感想です。

上映時は、私の他にもう一人いたのですが、私と同様に頭から?マークを出して映画館を後にしていました。