2021年10月以降の上映で、映画館の予告で鑑賞しようと思った映画。

ここでは、映画館の予告を見て鑑賞しようと思った映画について書いていきます。

まずはこの予告編

エスト・サイド・ストーリーで知っているのは、ミュージカルというのと、リーダー同士がお互いの片方の腕を布で巻き付けた状態でナイフで決闘するシーンがあるなぁ、ぐらいの認識です。

 

あと男性三人が、Ý字バランスみたいなポーズをしているポスターが有名だったらしいくらいなのですが、監督がスティーブン・スピルバーグと知り興味が湧いてきました。

 

予告編を見ていて「あれ?監督ってミュージカル映画って撮影した事あったけ?」と思って後で調べてみると、この映画がミュージカル映画初挑戦と知り驚きました。

 

今までのキャリアで満足せずに、新しい事に挑戦するチャレンジ精神自体凄いことだと思った訳です。

 

『レディ・プレイヤー1』や『E・T』を鑑賞して思ったことは「何でこの監督は、映画の文法でしか成立しない、映画特有のエモーションのみを撮影し続けることが出来るのだろう。」という事でした。

 

両作品共に、感動したシーンを言葉で説明しようとすると、途端に陳腐な表現になってしまって、全然伝えることができないのです。

 

本来の映画なら、そのエモーションに向けて物語を進めて行くのに対して、この監督の映画はエモーションしか無いことが他の映画と比べて稀有なところであり、多分それは、映画の演出におけるルールを知り尽くしているスピルバーグ監督だからこそ為せる技術ともいえます。

 

日本の監督でいうと、毛色が違うように見えますが、一番近いのは『大林宜彦監督』ではないでしょうか、両監督の作品に共通することは、自分自身の存在を映画と同化させていくかのような、映画に対する尊敬と深い愛情だと私は思っています。

 

映画に対する尊敬と深い愛情を持って撮影している点でいえば、『クエンティン・タランティーノ監督』の源流を辿るとティーブンスピルバーグ監督に行きつくのではないでしょうか。

 

有り体に言ってしまうと、超・映画オタクがだった少年が映画監督になった源流がスピルバーグ監督とも言えると思っています。

 

次はこの予告編

 

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予告編を見た感想は「これって実写版『白鯨』じゃないだろうか。」でした。

 

鯨と共に生きる人々のドキュメンタリーなのですが、鯨に銛を突き刺す人たちの身体性の高さを感じた。

ここに住む子ども達は、小さい時から服を着たままで海で泳いだり、大人たちと船に乗っていたりする、将来ここから、スポーツ選手やオリンピック選手が誕生するのではないか?と思うくらいだ。

 

話は少し変わるが、100メートル走を8秒で走れる人間が存在していると思っている。

 

本当に純粋な人間は、より早くとか誰かに勝ちたいとか思わないのではないだろうか、いるとしたら多分、こういう環境から誕生するのかも知れない。

 

話は戻って、鯨のスケール感が想像を軽く超えてくる、これが生物としては人間と同じ哺乳類として分類されているのだから生命は不思議だ。

 

捕鯨に対して、暴力的な行動をしてまでも反対する団体もある、私は何で捕鯨を反対しているのかを良く知らない、何か言い分があるのだろう。

 

だからこそ、捕鯨反対を掲げている人達に見てもらいたい。

 

何故、捕鯨するのかその背景には何があるのか?

 

相手を知ることで出来る議論の方が、感情論よりよっぽど未来があるのだが、これが綺麗事なのも理解はしている。心底面倒臭いと思っているが、この面倒臭さを放棄したら、後悔するような気がする。

 

それを含めて、自分自身のことを心底面倒臭いと感じている。

この面倒臭さと共に、このドキュメンタリーを見てみようと思った次第。

 

こんな感じで、予告編を見て思ったことを書いていく予定です。