2011年3月11日の記憶。

2011年の3月11日から12年が経過した。
12年前は穏やかな気候で、このまま春へと季節が変わると思っていた。
地震直後は家の2階で過ごしていたが、感覚的に巨大なタライに入れられて、両手を使ってタライを揺らされたように部屋全体がグラインドしていた。
その後停電したので、電気料金の支払い表を見ながら停電した際の連絡先へと電話を掛けたが繋がらなかった。
まだ、この時点で地震の規模についてまったく分からなかったからだ。
当時は災害意識も乏しく何も用意していなかったので、家族に連絡しようにも携帯電話の充電が切れてしまい、バッテリーも用意していなかった。
この時ほど自分に対して腹立たしく思った事はなかった。
家族は全員無事だったが、寝る前に携帯ラジオを聴きながら事の重大さを知った。
当時使用していたガラケーの携帯電話の電源が入ったので、ワンセグでテレビを見ていたら、深夜の海が火の海なっていて、点滅した日本列島の淵が真っ赤になっていた。それを見ながら気を失うように眠った。

目が覚めても、現実感が無かった。
あれだけ暖かったのに、一夜にして大雪が降って冬に逆戻りした。
とにかく寒かった記憶は鮮明にある。
近くのスーパーも停電中で、食品を買い求めるため長蛇の列が出来ていた。
そんな中、堂々と割り込んで来た老人がいた、ずっと呼吸音が「ぽ、ぽ、ぽ。」と言っていたので心の中では『ぽっぽジジイ』と呼んでいたが、誰も何も言わなかった。
極限状態になると、人間は出来るだけ体力を温存しようとする。
ぽっぽジジイは食料品を買って、悠々と近くのバス停からバスに乗って帰っていった。
それ以来、ぽっぽジジイとは会った事がない。

長蛇の列に並んで飴一袋とお菓子を買った記憶がある。
家に帰って袋麺を食べようとしたが、出来上がりの麺をフローリングにこぼしてしまったが、そのまま手で掴んで食べた。
従来ならゴミ箱に捨てるが、なりふり構っていられなかった。
とにかく、これからも生きていくという意志だけはあった。

これが私の3月11日と12日の記憶になる。