バービー

 

 

おススメ度 97

 

ネタバレあり。

 

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あらすじ

世界中で愛され続けるアメリカのファッションドール「バービー」を、マーゴット・ロビーライアン・ゴズリングの共演で実写映画化。さまざまなバービーたちが暮らす完璧な世界「バービーランド」から人間の世界にやってきたひとりのバービーが、世界の真実に直面しながらも大切なことは何かを見つけていく姿を描く。

ピンクに彩られた夢のような世界「バービーランド」。そこに暮らす住民は、皆が「バービー」であり、皆が「ケン」と呼ばれている。そんなバービーランドで、オシャレ好きなバービーは、ピュアなボーイフレンドのケンとともに、完璧でハッピーな毎日を過ごしていた。ところがある日、彼女の身体に異変が起こる。困った彼女は世界の秘密を知る変わり者のバービーに導かれ、ケンとともに人間の世界へと旅に出る。しかしロサンゼルスにたどり着いたバービーとケンは人間たちから好奇の目を向けられ、思わぬトラブルに見舞われてしまう。

レディ・バード」「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」のグレタ・ガーウィグが監督を務め、「マリッジ・ストーリー」のノア・バームバックとガーウィグ監督が共同で脚本を手がける。

2023年製作/114分/G/アメリ
原題:Barbie
配給:ワーナー・ブラザース映画

以上、映画.comより

 

 

バービーワールドって何ぞや?

 

バービーワールドはバービーがハッピーに暮らすための世界。ここでは、大統領バービー、医者バービー、工事現場バービーなど、あらゆる職種にそれぞれ人種の違うバービーが存在している世界なのですが、ケンもあらゆる人種がいて、ケンはビーチにいつも居る存在なので、社会性が希薄なのがケンとも言えるのがバービーワールドです、あと、ケンの友達のアランもいますが、存在感が希薄です。


バービーワールドはケンからすればディストピアだし、バービーとケンが足を運んだ人間の世界は、女性にとってのディストピアで、ケンがバービーワールドで作り上げたモジョ・ドージョー・カサハウス(口に出して言いたくなる語感)はバービーたちにとってのディストピアである。
「誰かにとって心地良い世界は、他の誰かの不快さを担保にして成立している。」という事実をポップに表現しつつも、現実を突き付けてくるバランス感覚が絶妙でした。


アランは凄く良い奴なのに・・・・

ケンと友達のアランはバービーに力を貸す唯一男性なのですが、女性に良いところを見せたい、モテたいといった、男性の要素を抜いたアランという存在を見ると、こんなにも頼りなく見えてしまうものかと思いました。

古来から「良い人だけど、付き合うのは無理。」といった、禅問答なのか、高難度のなぞなぞなのか分からない評価がありますが、この映画のアランはまさにそんな存在そのもの。
ぶっちゃけて言えば、生活力の無い男性だと言い換える事も出来る訳です。
バービーを尊重して、力になっているアランなのに何処か頼りなさげなのは、アラン自身が自分が何者であるかを確立できない事も関係していると思います。

バービーワールドはパンフレットによると、黒が存在しない世界なのですが、人間世界に行ったバービーが女子中学生に会いに行くシーンでは、ピンクの派手な服を着ているバービーに対して、テーブルに座っている女子中学生は全員黒い服を着ています。
これだけで、人間世界とバービーの世界の断絶を表しているのが印象的なシーンでした。


ケンもバービーも悩む。

バービーとケンが人間世界に来て早々に警察のご厄介になるのですが、憮然とした顔で自分のネームプレートをもって写真を撮影されるバービーに対して、ケンが満面の笑みでポーズを付けて撮影されているのを見た時は、ケンは良くも悪くも能天気な人物だと思っていたのですが、ケンという人物はそんな薄っぺらい人物ではない事が映画を観ていると分かってきました。

ケンの悩みは、自分とは何者かという事であって、人間世界で初めてケンという存在を認識してもらったからこそ、警察所であんなに喜んでいた訳です。

他にも、バービーワールドに戻ったケンが他のケンたちに「女性が敬語で、今何時ですか?って俺に聞いてきたんだぜ。」と自慢げに話すシーンは、愛しさと、切なさと、心苦しさが同時に現れるような良いシーンでした。

ケンがバービーより先に戻って着手した事は、人間世界で学んだ、男性社会と馬を合わせたケンが理想とするワールド、通称モジョ・ドージョー・カサハウスの建国で、そこでバービーワールドに住むバービーたち男性社会に免疫が無く、洗脳されてしまった。
という描写が秀逸なのです。


バービー達の洗脳を解くために、まずケンたちの傍から離れないバービー達をどう離していくかが肝になるのですが、男性の興味をそらすためには、フォトショップの使い方が分からない、投資について聞きたい、映画(ゴットファーザー)について質問するといった。男性が、マンスプレニング(教えたがる男性たち)になる状況を作り上げていくのですが、観ていて気まずく、そして恥ずかしかったです。

バービーに人間世界で女性がいかに理不尽な目にあっているかを直接伝える事で洗脳が解け、マンスプレイニングの陽動作戦に加わっていくという怒涛の展開に。

最後の総仕上げに「男はギターでも弾き語ってさえすれば、女性が喜ぶとでも思ってんだろ?」と言わんばかりの映像表現を見た時に、共感性羞恥という言葉が脳内で湧き出てきて嫌な汗が出てきました。

結局、バービーは他のケンに愛想を良くすることで、ケンたち同士を仲間割れの状態に持っていく作戦がまんまとハマり、ケン達の全面戦争になる訳ですが、ここはバービーワールドなので、武器と言う概念が無く、フリスビーだとか、かわいいスコップだとかを用いて、戦争というか、じゃれあいみたいな事になるのですが、ここはライアン・ゴスリングの存在感もあって、かなりのがっかり感を味わえました。


最後は、黒いシャツとズボンを着て、集団ダンスバトルに変化するシーンは、格好良すぎてダサさが際立つ最高の演出になっていましたな。


少し考えれば、映画や投資、フォトショップについて詳しい女性も沢山いるのは明白なのですが、その前提をすっ飛ばして知識でマウントを取ろうとする男性。普通にクソだなと思いますし、そのクソに自分も含まれていて他人事では無いなと実感しました。

これらのシーンを詳しく書こうとすると、まさに映画内のマンスプレイニングそのものになってしまうという事実。


そもそも、このブログもマンスプレイニングの集積とも言える訳で、書いていて吐きそうになりましたが、自覚する事で少しは抑止力に繋がるのではないかと思いました。

バービーも、他のバービーのような役割が無い、ただのバービーである事に悩んでいて、奇しくも、ケンも同様の事で悩んでいて、ケンの方がアイデンティティクライシスに陥っている分、より苦悩が深い。

 

あなたはあなたで良い、なんて使い古された言葉で立ち直るほど単純ではない、ここで大切なのは私は私で良いんだと言える自己肯定だ。

 

悩んだケンは、ケンはケンだという自己認識によって立ち直り、バービーも自分の意志で人間になる事を決める。

悩みと向き合い、一歩前に踏み出す事で新しい世界と出会える。
そんな映画だと思いました。

予告編を最初に見た時は、「これは、マズイ映画になるかもだぞ。」と思っていたのですが、実際に鑑賞して良かった映画でしたので、何事も決めつけは良くないことを肝に銘じました。

 

あと、日本では完全に味噌が付いてしまったのが本当に惜しかったです。

詳細につきましては、皆様方で調べて頂ければと思います。